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登録リスト(該当:101件)

管理番号写真タイトル説明登録日
1538下社秋宮前下社秋宮前諏訪大社下社秋宮前の三井屋と大社煎餅本舗。手前に以前石畳だった名残が残っている。2020-03-06
1527絵馬絵馬下社秋宮境内の絵馬。2020-03-06
1520専女の欅専女の欅諏訪大社外苑の専女社(専女八幡)にある巨木「専女(とうめ)の欅」。2020-03-06
1503消防団消防団諏訪大社下社秋宮前、車に「特設防護」文字、消防車と思われる。消防団員の法被の襟に1から6の分団長の文字が読める。2020-03-06
1476遷座祭遷座祭鉾(ほこ)を持って遷座の列を作る白丁奉仕の皆さん。年2回の奉仕。鉾の列の後ろに奏楽の列が続く。諏訪大社春宮した直後の様子。2020-03-06
1320健勝祈願ののぼり健勝祈願ののぼり太平洋戦争中に出征軍人の武運長久を祈って幟を屋敷内に建てた。幟は諏訪大社宮司に書いて貰うのが多かった。神朝臣(かみあそん)守矢真幸敬書と見える。2020-03-06
1258御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。2020-03-06
1256御柱祭御柱祭御柱祭、里曳きの神賑わいの長持ち、女装をして担いでいる、長持ちに「一之宮御用」「小口」の文字が見えるので岡谷地区の長持ち衆。2020-03-06
1215出征兵士を送る出征兵士を送る秋宮境内沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)2020-03-06
1178外御霊戸社外御霊戸社諏訪大社の祭事にあたっては内御霊戸社(うちみたまどしゃ)次に外御霊戸社(そとみたまどしゃ)そして御室社(みむろしゃ)を巡拝した後、本社を拝する習わしとなっている。この写真は外御霊戸社。2020-03-06
1171大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。2020-03-06
1168二年詣り二年詣り諏訪大社の二年詣り、午後11時頃から人手が急に増え12時近くには、境内は身動きできない人込みで埋まった。24時 歓声を上げて賽銭を投げる人たち(2020-03-06
1158東山田の辻東山田の辻「蚕神」碑「道祖神」「庚申碑」が並ぶ村の辻。養蚕が盛んだったj頃は「お蚕さま」と呼ばれていた。東山田地区は旧長地村。諏訪大社春宮とのつながりが深く、下社五官がこの里に住んだ時代もあった。古くは、正面に登る道は「人棺小路」と呼んでいた。(葬列が通った道のこと)2020-03-06
1151旧武居祝邸旧武居祝邸旧武居祝邸。武居祝は金刺氏滅亡後下社の神事を引き継いできた。2020-03-06
1145七五三の宮参り七五三の宮参り七五三の宮参り風景(秋宮)。この年は男児の和装が例年になく多く目についたという。近年七五三の宮参りも11月に入る前から参拝風景が見られる。2020-03-06
1126宵祭り宵祭り7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。2020-03-06
1087木落社例祭木落社例祭木落社例祭。木落社は諏訪大社摂社の一つで木落し坂の脇に祀られている。9月27日には午前9時に木落し坂にある木落社祭が行われ、続いて萩倉上の斧立社、さらに八島ヶ原湿原西の鷲ヶ峰麓で大元尊社祭がとり行われる。また、同日午前11時頃には旧御射山社祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1086旧御射山旧御射山山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1083斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。2020-03-06
1066秋宮社務所秋宮社務所座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)2020-03-06
1050御射山祭御射山祭数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。2020-03-06
1045奉射会の矢渡し奉射会の矢渡し8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われた。奉納会はこの年67回目を数えた。2020-03-06
1044奉射会の矢渡し奉射会の矢渡し8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われたこの祭りに集まってきた諸国の武家が、祭りの余興に小笠懸、草鹿(くさじし)などの弓術を演じ、優れた射手にはすすきの穂を添えた征矢が与えられたという故実から、この奉射会がはじめられた。この年67回目。2020-03-06
1043夜の木の下夜の木の下大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。2020-03-06
1028お舟祭りの柴舟お舟祭りの柴舟諏訪大社下社の祭神の御霊代(みたましろ)は春宮と秋宮の社を2月1日と8月1日に遷座する。春(2月1日)は秋宮から春宮へ、秋(8月1日)は春宮から秋宮に遷座する。春はひっそりと静かに、夏は神霊遷座の行列の他に青芝を取り付けた巨大な柴舟に翁(おきな)媼(おうな)の神像を会い向かいに飾り曳行する。神霊奉遷の厳粛な行事と柴舟の曳行の行事が別に行われるため、祭りの中心がお舟の曳行になり、8月の遷座祭をお舟祭りとよんでいる。(四つ角付近の柴舟)2020-03-06
1014お舟祭り宵祭りお舟祭り宵祭り諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。2020-03-06
1013合宿風景合宿風景駒場高校剣道部の合宿練習風景。後ろに諏訪大社下社春宮境内東側に残る古い階段が見える。2020-03-06
994世界最大のオルゴールメーカー三協精機世界最大のオルゴールメーカー三協精機三協精機旧社屋。現在下諏訪町内にはオルゴールの展示館(すわのね)やオルゴールの組み立て体験ができる「おいでや」などがある。また諏訪大社秋宮の鳥居前では20分ごとにオルゴールの音色で観光客を迎えている。2020-03-06
988諏訪大社あやめ奉献祭諏訪大社あやめ奉献祭諏訪大社下社あやめ奉献祭の日。地元の東山田あやめ会が丹精込めて育てたハナショウブの鉢植えが、春宮神楽殿の周りに色鮮やかに並べられた。祭りでは琴と尺八の奉納もあって、普段静かな春宮もしばしの賑わいを見せた。2020-03-06
986茅の輪くぐり茅の輪くぐり諏訪大社下社の夏越(なごし)の大払い神事「茅の輪くぐり」。春宮横を流れる砥川の中の島「浮島」で行われる。茅の輪くぐりの祭りの風景。2020-03-06
970諏訪大社の龍の彫り物諏訪大社の龍の彫り物諏訪大社は風の神、水の神と言われ、祭神は蛇体という伝えもあるなど、原始信仰の姿を伝えていることで知られている。春宮の拝弊殿は安永6~9(1777~1780)年の建築だが、この龍の彫理り物は、いつごろの作かはっきりしない。諏訪大社春宮の土蔵から出てきた龍の彫り物2020-03-06
969大社四つ角風景大社四つ角風景国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。2020-03-06
924禰宜太夫家禰宜太夫家諏訪大社下社五官の一つ、禰宜太夫家の荒れ果てた屋敷。この年8月21日失火のため消失。下社五官とは大祝・禰宜太夫・擬祝・副祝をいう。2020-03-06
900秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギャア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。2020-03-06
852大鳥居のある街角大鳥居のある街角春宮大門大鳥居と参道。正面は諏訪大社春宮の870mに及ぶ参道。鎌倉時代には流鏑馬が行われていたらしい。かつては見事なさわら並木で、昼なお暗い道だったという。鳥居の後方左の大きな建物は製糸時代の繭倉で平成元年は倉庫会社の倉庫になっていた。 現在は西友下諏訪店になっている。2020-03-06
848下社春の遷座祭下社春の遷座祭諏訪大社下社、春の遷座祭。秋宮を発つ遷座の行列。御神体を秋宮から春宮へ移す祭り。春、神を山から里へ迎え耕作を守ってもらい、秋に山へ送るという古い信仰に根ざす祭りといわれている。諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、かわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
817諏訪大社節分祭諏訪大社節分祭春をつげる諏訪大社の「節分祭」。恒例の宝投げに沢山の手が福をつかもうとしている。赤鬼・青鬼が登場しその浸入を防ごうと神官が立ちふざかるしぐさなど見ていて楽しい行事である。2020-03-06
816諏訪大社節分祭諏訪大社節分祭春をつげる諏訪大社下社の「節分祭」の様子。恒例の宝投げに沢山の手が福をつかもうとしている。赤鬼・青鬼が登場しその浸入を防ごうと神官が立ちふざかるしぐさなど見ていて楽しい行事である。2020-03-06
803下社遷座祭下社遷座祭諏訪大社下社、春の遷座祭(秋宮御発つ遷座の行列御神体を秋宮から春宮へ移す祭り。春、神を山から里へ迎え耕作を守ってもらい、秋山へ送るという古い信仰に根ざす祭りといわれている。すわ神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、かわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
802下社春の遷座祭下社春の遷座祭諏訪大社下社、春の遷座祭(秋宮を発つ遷座の行列)。御神体を秋宮から春宮へ移す祭り。春、神を山から里へ迎え耕作を守ってもらい、秋山へ送るという古い信仰に根ざす祭りといわれている。諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、これもまた諏訪社独特のかわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。昔は旧暦一月一日の祭りだった。 秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
776諏訪大社宮司諏訪大社宮司執務中の加藤宮司。諏訪大社宮司の加藤茂さん(当時82歳)は神社本庁から迎えられた宮司は「上下社の融合に一番気を使います。でもこの土地では御諏訪様は絶対で政党も新興宗教も超越して協力してくれます。これだけはよその土地とは違います。それだけに御諏訪様は怖い神様です。」と話していた。諏訪大社は上社(諏訪市・茅野市)下社(下諏訪町)に分かれているうえ、上・下両社とも二つのお社から成るというややこしさがあり、古くは上・下両社が血の抗争を繰り広げたこともあって、維新後、一つの神社となったが、氏子間の対抗意識が潜在していてかじ取りは難しいらしい。2020-03-06
775山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。2020-03-06
774秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。2020-03-06
767筒がゆ神事筒がゆ神事筒がゆ神事。諏訪大社下社(春宮)に伝わる小正月の年占いで、長さ18cmの葦の茎を44本束ねて入れた鉄釜で米・小豆の粥を夜を徹して炊きあげ、15日早暁、葦の茎を取り出し粥の入り具合でこの年の農作物の出来と「世の中」を占う神事。この年の結果は「世の中三分七厘」(五分満点)との託宣だった。2020-03-06
765山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧「ホテル山王閣」屋上からの町並み。現在建物はなくなり駐車場になっている。2020-03-06
741諏訪大社祈念祭諏訪大社祈念祭諏訪大社祈年祭。「祈年祭」は穀物の豊作を祈る祭り。「としごいの祭り」とも言う。下社は春宮にて行われる。2020-03-06
740諏訪大社祈念祭諏訪大社祈念祭諏訪大社祈年祭。「祈年祭」は穀物の豊作を祈る祭り。「としごいの祭り」とも言う。現在は3月17日ころ、上社が午前中、下社は午後春宮にて行われる。2020-03-06
738禰宜太夫土蔵禰宜太夫土蔵禰宜太夫屋敷土蔵。№739参照。2020-03-06
737禰宜太夫屋敷禰宜太夫屋敷諏訪大社下社五官のひとつ禰宜太夫家。当主が東京へ去り借家人が住んでいたが平成元(1989)年8月21日焼失した。2020-03-06
735犬射馬場、上馬場の標石。犬射馬場、上馬場の標石。諏訪大社の神官は上代末から中世までは武士であった。そのため練武の場を設けて武技を練り、神事にも取り入れられていた。犬射馬場は神殿の西続きにあり、現在も上馬場(かみばっぱ)の名を残している。享保18(1733)年検地をし、四隅に標石(武居入りから出土している「六方石」が使われている)が立てられた。東西約152m南北約73m周囲約450m。(下諏訪町の文化財には455m、下諏訪町の歴史には488mなどの記述も見える) 「下諏訪町の文化財」には、東北隅の標石は「享保十八癸巳年三月改、明和六己巳八月廿五日御宮奉行氏子方立会改候所、享保年中検地之節(境)目石書付。当社馬場依是南江。依是西江。」 北西隅の標石は「享保十八癸巳年三月改、従是東江八十三間二尺。当社之馬場従是南江四拾間二尺。」 東南隅の標石は「当社之馬場従是北江三2020-03-06
653記念写真秋宮記念写真秋宮諏訪大社下社神楽殿前。いつ何の記念写真かは不明。2020-03-06
636陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。2020-03-06
579秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥三井製糸第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。2020-03-06
571秋宮右手の石垣秋宮右手の石垣秋宮左手の石垣。道は下諏訪宿へ入る甲州道中の江戸側の 入り口である。石垣正面の曲がり角は宿場への枡形お部分で番屋が置かれていた。2020-03-06
549秋宮神楽殿秋宮神楽殿「諏訪大社神楽殿及日本一駒犬」と写真下に書かれている。昭和6(1931)年9月18日には満州事変戦勝祈願も行われている。狛犬(駒犬)は昭和5(1930)年11月吉日に竣工。神楽殿をかこむようにしめ縄飾られている。現在の神楽殿正面の大しめ縄は戦後からのものである。 この狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。現在の狛犬の説明には「青銅製の狛犬としては日本一」と紹介されている。2020-03-06
545秋宮幣拝殿秋宮幣拝殿諏訪大社秋宮幣拝殿。手前右は神楽殿。幣拝殿にとりつけられている幕の神紋(梶の葉紋)の足は4本になっている。2020-03-06
528東郷平八郎献額東郷平八郎献額諏訪大社秋宮の神楽殿正面に東郷元帥筆の「日本第一大軍神」の大額が奉献さる。この額は戦後は秋宮拝殿の左片拝殿にある。(刻者は篆刻師八幡郊處)2020-03-06
519千尋館千尋館諏訪大社下社秋宮、右手前は千尋池、その奥には手水舎が見える。正面は千尋館で現在は土産物店「専女八幡」となっている。2020-03-06
516博物館博物館昭和27(1952)年7月21日、神社と共用の博物館が、諏訪大社下社秋宮の神饌所を借用してできる。写真中央が当時の下諏訪博物館。歴代館長は昭和25(1950)年5月矢ケ崎輝雄・同29(1954)年6月三輪良三・同47(1972)年4月小口利市。写真左は昭和38(1963)年に建設された下社宝物殿。中央が下諏訪博物館で右はお守り札の授与所である。2020-03-06
514春宮から大門通り春宮から大門通り諏訪大社下社春宮、境内付近から下馬橋方面を写したもの。2020-03-06
513春宮鳥居前の並木春宮鳥居前の並木機上から撮影した諏訪大社下社春宮の下馬橋(太鼓橋)奥のさわら並木。写真は諏訪市勝山為如氏撮影。下馬橋奥にさわら並木が見える。昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れた。2020-03-06
509八幡坂改修渡り初め八幡坂改修渡り初め八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。2020-03-06
508青塚古墳青塚古墳青塚古墳。平地につくられた古墳で横穴廓をもち、諏訪地方唯一の前方後円墳。県指定文化財。石室は横穴式であるが古くに発掘されたため遺物などは不明。古墳の周囲から円筒埴輪も発見されている。古墳のくびれ部に青塚社があり、諏訪大社下社の末社となっている。2020-03-06
500宝生橋宝生橋諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。2020-03-06
401芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
381春宮前大門通り大正末期春宮前大門通り大正末期春宮前の大門通り、下馬橋から春宮を望む、河西政常氏撮影。通りの両側にはさわら、杉、松、桜などの大木が並んでいた。明治中期の調査では計41本であったが、昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れその後枯死したりして昭和39(1964)年には全て姿を消してしまった。2020-03-06
287航空写真 秋宮周辺航空写真 秋宮周辺下社秋宮の森、今はない山王閣の建物が見える。画面左下には青塚が見えている。2020-03-06
262売神祝印(メガミホオリノイン)売神祝印(メガミホオリノイン)「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)」は諏訪大社下社の御神宝(宝印)で印筥(いんばこ)と共に昭和9(1934)年に国宝(現在は重要文化財)の指定を受けた。社伝によれば大同年間(806から810)平城天皇より下賜されたものといわれ、美しい鋳物肌を持つ銅印である。かつていったん失われ、秋宮境内の千尋池から発見されたと伝えられているが真偽は分からないという。2020-03-06
250長持勢揃い長持勢揃い春宮に勢揃いした下の原長持連。2020-03-06
248長持勢揃い長持勢揃い春宮に勢揃いした下の原長持連。2020-03-06
244第一区両社詣り第一区両社詣り昭和15(1940)年9月15日。第一区両社参り。2020-03-06
235第一区両社詣り第一区両社詣り両社参り昭和16(1941)年9月21日。(No234)の昭和13(1938)年の写真と比べると子どもや婦人(女性)の人数が多いように見える。2020-03-06
234第一区両社詣り第一区両社詣り出征軍人の健康祈願のため区の主催で区民がたびたび諏訪大社の上下両社に歩いてお詣りした。写真は上社石段での記念撮影。 前列中央の男性が「日本第一軍神」の旗を持っている。2020-03-06
209長持記念写真長持記念写真長持ち勢ぞろいの記念写真。春宮神楽殿前。2020-03-06
199芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
185大門通り下馬橋~春宮大門通り下馬橋~春宮大門通りのさわら並木や下馬橋を参道南側から春宮方向に望む。河西政常氏撮影 。2020-03-06
183下馬橋より下のさわら並木下馬橋より下のさわら並木大門通り。下馬橋から南を望む。2020-03-06
182下馬橋とさわら並木下馬橋とさわら並木官幣大社諏訪神社下社春宮下馬橋。昭和9(1934)年室戸台風の被害前のさわら並木。2020-03-06
181春宮前大門通り大正末期春宮前大門通り大正末期春宮前の大門通り下馬橋から春宮を望む、河西政常氏撮影。通りの両側にはさわら、杉、松、桜などの大木が並んでいた。明治中期の調査では計41本であったが、昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れ、その後枯死し昭和39(1964)年には全て姿を消した。2020-03-06
180大正年間の大門通り大正年間の大門通り大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。2020-03-06
179昭和初期の下の原昭和初期の下の原 機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。奥にさわら並木が見える。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多く見える。2020-03-06
107新潟県人会新潟県人会この頃、県人会など絆が固くまとまっていた。新潟県人会には魚屋さんが多かった。2020-03-06
102結婚式の記念写真結婚式の記念写真諏訪大社下社秋宮での結婚式の記念写真。2020-03-06
101成人式記念写真(女性)成人式記念写真(女性)この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。2020-03-06
100成人式記念写真(男性)成人式記念写真(男性)この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。2020-03-06
89皇太子秋宮参拝皇太子秋宮参拝宮司と共に参拝され説明を聞かれる皇太子殿下。(平成天皇陛下・令和上皇様)2020-03-06
85下諏訪町消防団下諏訪町消防団下諏訪町消防団記念写真。2020-03-06
83下諏訪町警防団下諏訪町警防団下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団(昭和22(1947)年まで)が設置された。団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。中央には警察官の姿も見える。2020-03-06
82横綱吉葉山来訪横綱吉葉山来訪大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助。民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた2020-03-06
71紀元二千六百年記念紀元二千六百年記念紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。2020-03-06
70第三区出征軍人健勝祈願記念写真第三区出征軍人健勝祈願記念写真第三区出征軍人の健勝を祈願した際の記念写真。多くの子ども、学生も動員されている。昭和10(1935)年代に消防組から消防団となり、はっぴ姿も見える。供出前の狛犬も映っている。(狛犬は昭和19(1944)年に供出。)2020-03-06
69裏参道開通記念裏参道開通記念昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。2020-03-06
56広瀬町町少年団広瀬町町少年団広瀬町少年団の団旗完成記念写真。昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。2020-03-06
48注連縄製作完成記念写真注連縄製作完成記念写真大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。2020-03-06
46実業団野球選手行進実業団野球選手行進実業団野球大会が鷹野町野球場で行われた。そのときの選手団が諏訪大社下社秋宮に参拝、その後消防団ラッパ隊の先導で球場まで行進した。2020-03-06
18出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。2020-03-06
12御田植祭03御田植祭03諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。この頃からカラーフィルムが使用され始めて、カラー写真に人気があった。2020-03-06
11御田植祭02御田植祭02諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。舞を担当する女の子と苗を植える早乙女役の女性の服装の違いがよくわかる。2020-03-06
10御田植祭01御田植祭01諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。2020-03-06
9千尋池千尋池千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。写真は改修工事完成の記念写真で、大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なおちひろ講は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
5秋宮鳥居前集合写真秋宮鳥居前集合写真徴兵検査合格者の記念写真。旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。手水舎が現在と反対側にある。昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。千尋館二階から撮影された。2020-03-06
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