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登録リスト(該当:38件)

管理番号写真タイトル説明登録日
1498ボイラーボイラー製糸業のボイラー。2020-03-06
1401スケートスケート馬が引く「氷上スキー」。背景の段々畑は一面桑畑、製糸業が盛んな頃の農閑期の諏訪の風景。場所は高浜湾付近。2020-03-06
1318製糸場風景製糸場風景製糸場風景。煮た繭から生糸を作り、小枠に巻き取る機械、繰糸機(そうしき)の写真。工女は洋服を着ている。2020-03-06
1314萩倉萩倉製糸業が盛んだった頃の萩倉部落の全景。下諏訪の萩倉地区は、豊富な水・薪(動力)で明治11(1878)年座繰製糸が始まり明治中期までこの地方を代表する製糸の村だったが、明治38年岡谷まで中央線の開通以来、移転・廃業など次第に取り残されていった。明治35(1902〉年ごろの写真。2020-03-06
1306昭栄製糸昭栄製糸2020-03-06
1305丸六製糸丸六製糸丸六※製糸(片倉兼太郎)。湯田新町(旧ヤシカ跡現ムトー工業)片倉組製糸の下諏訪製糸所、明治32年井上善次郎工場(明治18年創業)を買収して創業、昭和18年軍需工場となり昭和23年再開するも昭和30(1955)年ヤシカとなる。 2020-03-06
1303吉澤製糸場吉澤製糸場山永※吉澤製糸場30釜(明治26年現在)。花咲町旧小松ガラス店隣。明治24年吉澤金治創業。2020-03-06
1302丸六製糸丸六製糸丸六※製糸(片倉兼太郎)。湯田新町(旧ヤシカ跡現ムトー工業)片倉組製糸の下諏訪製糸所、明治32年井上善次郎工場(明治18年創業)を買収して創業、昭和18年軍需工場となり昭和23年再開するも昭和30(1955)年ヤシカとなる。 2020-03-06
1301森下製糸場森下製糸場森下製糸場大正15年創業20釜(昭和3年現在)。矢木町森下宅。2020-03-06
1300下諏訪共同施設下諏訪共同施設藤森今治氏 昭和9年40釜で創業、昭和16年廃業。下諏訪共同施設 藤森今次 下諏訪町製糸協同施設組合長、後の諏訪信用金庫下諏訪支店長2020-03-06
1299新井製糸場新井製糸場丸井製糸。富部新井製糸所。 新井喜多(喜助)新井製糸場2020-03-06
1298岡谷製糸岡谷製糸岡谷製糸業(御川製糸場)建物外観から明治16年岡谷市の小口善重が下の原中村平助製糸の休業のあとへ御田川製糸場を開業、大規模な繰業で「大器械」とも呼ばれ二階建ての事務所に望楼を載せ村人はホテルとも呼んだとされるものとも推測できる。2020-03-06
1297製糸工場製糸工場堀内忠夫氏の製糸場。中央通り旧湖北工業跡、現フレール隣、大正8年創業の角ヤ※小口組製糸工場が昭和6年の大恐慌で倒産、その後青木村出身の堀内忠夫氏(後の町議会議長・商工会議所会頭)が引き継ぐが、昭和32年廃業。 2020-03-06
1294昭和製糸場昭和製糸場栄町の製糸場。曙町、現高野接骨院隣、後の小口克郎氏の昭和製糸場。 2020-03-06
1293真綿とり真綿とり真綿は主に製糸に向かない屑繭(くずまゆ)を使って作られた。屑繭を煮沸し、開き、引き伸ばし乾燥させたあと、布団や綿入れの着物に利用されたまた真綿を太糸の用に伸ばして織りチョッキのように防寒用に用いられた。真綿とり様子。2020-03-06
1292昭栄製糸昭栄製糸昭栄製糸(小口竹吾)明治42(1909)年創業743釜(昭和3年)。山十※組下諏訪製糸が昭和6(1931)年昭栄製糸となり昭和32年三協精機(現日本電産サンキョー)オルゴール部、昭和37(1962)年本社となる。煙突と煙突の間の森は下社秋宮。 大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える⇒山十組の破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がback up 昭和6(1931)年昭栄製糸が誕生。2020-03-06
1291森下製糸場森下製糸場森下製糸場大正15年創業20釜(昭和3年現在)。矢木町森下宅。2020-03-06
1290吉澤製糸場吉澤製糸場山永※吉澤製糸場。花咲町旧小松ガラス店隣。明治24年吉澤金治創業。2020-03-06
1288山田製糸場山田製糸場山田製糸場、大正13年創業、20釜(昭和3年現在)2020-03-06
1287製糸場製糸場製糸場2020-03-06
1266山岡氏山岡氏「山岡操氏」明治10年、製糸を始めた富部(10区)の士族。 山岡家には立派な屋敷図と城壁のような石垣が残っている。また山岡氏は戸長も務めた。2020-03-06
1236昔の岡谷昔の岡谷昔の岡谷 入山の倉庫2020-03-06
1231垣根のある風景垣根のある風景繭籠で作った垣根(当時繁盛していた製糸工場の県外より生繭を輸送する繭籠で囲いの塀にしたもの)のある風景。2020-03-06
1226女工さん女工さん製糸工場の工女さん。若い女性に混じって後方に年配の女性も見える。見ものの柄に年齢差が見える。2020-03-06
1196入一通信入一通信入一通信(株)の洋館風の事務所。前進は明治43(1910)年発足の入一組製糸所。そのまた前身は明治34年創業の入○(イリマル)組製糸所。最盛期の大正10(1921)年は1150釜と町内ての大手工場となり、茨木・静岡と町内に分向上を持っていた。太平洋戦争中製糸技術を生かして通信機用コイル・トランスの生産に転換した。2020-03-06
1154釜洞商店釜洞商店辻の八百屋さん。御田町通りの角にある店、製糸全盛時代には工女たちの買い物で賑わっていた。2020-03-06
1153菅野温泉菅野温泉市街地中心にある「菅野温泉」の入り口。トンネルのような通路を経て湯に至るあたり独特の雰囲気が漂う。製糸業が盛んになり始めた明治18(1885)年財産区から湯をひいて八幡坂下に開設した。2020-03-06
1052町上水道町上水道完成後60年、町水道配水池の集水井などを点検する水道施設係長。製糸の町の上水道は、製糸業の一層の発展も目的に昭和2~3年に建設(総工費38万円)された。2020-03-06
1016中村製作所中村製作所製糸時代からの鉄工所、今は精密メーカーなどからの注文仕事で忙しい。創業は明治40年頃、製糸工場のボイラーなどを手がけた。「諏訪湖の町の平成元年」には、昭和9(1934)年、室戸台風で倒れた製糸工場の煙突を、たった一昼夜で再建した思い出を、74歳の工場主が話してくれたと解説が書かれている。戦後の一時期スケートのエッジ「N、S、K ローレル クラウン」の製造元として鳴らしたこともある。中村製作所の鉄工所(プレス二次加工)。2020-03-06
971繭の運搬風景繭の運搬風景軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。2020-03-06
960ニット工場ニット工場ニットメーカー(旧佐藤メリヤス(有)・現サトーニット)のデザイン企画室。講師を招くなどしてデザイン力に注力。ファッション誌に載るような作品も送り出している。製糸業からの転進、ニット業界の変転の中で商品企画と開発に独自の努力をして生き残ってきた。従業員60人。(株)サトーの工場。2020-03-06
903製糸工場の面影製糸工場の面影「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波機械製糸所の事務所だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。2020-03-06
342片倉館片倉館片倉館。大正から昭和初期に製糸業で栄えた片倉財閥が、創業50周年記念に二代目片倉兼太郎により、片倉財閥関係者のみならず地域住民の厚生と社交の場として昭和3(1928)年に建てられた。 会館、浴場、渡廊下の3棟が国指定重要文化財に指定されている。特に千人風呂と呼ばれる大浴場が特徴で、深さ1.1メートルもあり底の玉砂利が足の裏を心地よく刺激する。 同敷地内に諏訪市美術館がある。2020-03-06
81製糸の町岡谷製糸の町岡谷満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。2020-03-06
80製糸の町岡谷製糸の町岡谷塩尻峠を越えて岡谷まで西条炭を運んだ索道。塩尻まで汽車で運ばれ、それを岡谷の製糸工場へ運ぶためにリフトを使い塩嶺峠を越えた西条炭は、東筑摩郡会田村・本城村等で産出するものだった。岡谷は明治22(1889)年が最初で、輸送は馬・車便だったが、明治36(1903)年、篠ノ井線が塩尻まで開通したのに伴い塩尻から岡谷市間下に鉄索を架設し、明治37(1904)年運転を開始した。しかし、明治42(1909)年に中央線の全面開通により常磐炭等が移入され、西条炭は役割を激減した。2020-03-06
79製糸の町岡谷製糸の町岡谷天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。2020-03-06
78製糸の町岡谷製糸の町岡谷天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。製糸工業全盛期「岡谷の千本煙突」・「岡谷のスズメは黒い」など言われることもあった。天竜川河岸に水車と思われるものが写っている。2020-03-06
51萩倉萩倉製糸業が盛んだった頃の萩倉部落の全景。下諏訪の萩倉地区は、豊富な水・薪(動力)で明治11(1878)年座繰製糸が始まり明治中期までこの地方を代表する製糸の村だったが、明治38年岡谷まで中央線の開通以来、移転・廃業など次第に取り残されていった。明治35(1902〉年ごろの写真。2020-03-06
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