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登録リスト(該当:202件)

管理番号写真タイトル説明登録日
1538下社秋宮前下社秋宮前諏訪大社下社秋宮前の三井屋と大社煎餅本舗。手前に以前石畳だった名残が残っている。2020-03-06
1528八幡坂の街並み八幡坂の街並み写真右に見えるのは専女(とうめ)社のけやき、工事を行っている場所は、現在は土産物屋になっている。2020-03-06
1527絵馬絵馬下社秋宮境内の絵馬。2020-03-06
1526犬射馬場犬射馬場當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば) 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿ごうどの)につづく錬武であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追い物をして祭りが終わったことが記されている。それで犬射馬場といった。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲に石柱が立っていた。2020-03-06
1521小路小路根津八紘美術館横の小路(秋宮前大社通りから宿場町立町通り)、江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。2020-03-06
1518商店商店秋宮リンク近くにあった(旧)林商店。2020-03-06
1517製糸場跡製糸場跡岩波製糸場の事務所(現存2019年現在)、前方に続く板塀の中に座繰糸工場があった。背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮リンク。2020-03-06
1516製糸場跡製糸場跡岩波製糸場(岩波機械場)。2020-03-06
1515秋宮リンク秋宮リンクふれあい広場、シーズンオフの秋宮スケートリンク。2020-03-06
1512入一通信裏手入一通信裏手桜町から御田町へ抜ける道。入一通信の裏手付近。画面左下は現在、「教職員秋宮住宅」となっている。2020-03-06
1503消防団消防団諏訪大社下社秋宮前、車に「特設防護」文字、消防車と思われる。消防団員の法被の襟に1から6の分団長の文字が読める。2020-03-06
1474遷座祭遷座祭春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。2020-03-06
1473遷座祭遷座祭春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。2020-03-06
1472遷座祭遷座祭春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。後ろが御田町2020-03-06
1471遷座祭遷座祭春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。2020-03-06
1470時代行列時代行列春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。「金刺盛澄時代行列」8月1日にあわせて行われたイベントで現在は行われていない。2020-03-06
1443町制施行100周年事業町制施行100周年事業諏訪盛澄時代行列イベントに参加する「万寿姫」「絹姫」コンテストが秋宮境内で行われた。写真左から「春姫」宮沢さん・久保田さん五代目「万寿姫」の山田さん「絹姫」の岩下さん「「秋姫」の武居さん・中谷さん。26人が応募24人が出場。「万寿姫」「絹姫」には海外旅行と副賞がプレゼントされた。2020-03-06
1430スケートスケート向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)  2020-03-06
1427スケートスケート2020-03-06
1426スケートスケート2020-03-06
1425スケートスケート2020-03-06
1424スケートスケート2020-03-06
1423スケートスケート2020-03-06
1422スケートスケートアイスホッケー。2020-03-06
1421スケートスケート2020-03-06
1420スケートスケート2020-03-06
1419スケートスケート諏訪郡下スケート大会に於いて小学生20周に優勝した清水順吉君。下駄スケートを履いている。2020-03-06
1418スケートスケート「下諏訪町特設スケート場」、秋宮リンク、北側の斜面には家はまだ少なく、畑になっている。万国旗が頭上に飾れれている。帆かけと、椅子そり。 小口光雄寄贈。2020-03-06
1417スケートスケート2020-03-06
1416スケートスケート2020-03-06
1415スケートスケートアイスホッケー。2020-03-06
1412スケートスケート2020-03-06
1411スケートスケート2020-03-06
1410スケートスケートたくさんの子どもたちが見守る中で回転したり、ジャンプをしたしフィギュアスケートを披露。子どもたちはみな下駄スケートをはいている。2020-03-06
1409スケートスケート2020-03-06
1408スケートスケート2020-03-06
1407スケートスケート2020-03-06
1406スケートスケート2020-03-06
1405スケートスケート2020-03-06
1404スケートスケート2020-03-06
1403スケートスケート椅子に刃をつけてソリのようにして遊ぶ様子。2020-03-06
1402スケートスケート2020-03-06
1400スケートスケート下駄スケート。そりにもスケートの刃がつけられている。2020-03-06
1399スケートスケートなかよく並んで下駄スケートをする子どもたち。2020-03-06
1379アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケー。2020-03-06
1378スケートスケート2020-03-06
1377アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケー2020-03-06
1376スケートスケート2020-03-06
1368スケートスケートアイスホッケ-2020-03-06
1366スケートスケート2020-03-06
1364スケートスケート2020-03-06
1363アイスホッケーアイスホッケー2020-03-06
1361スケートスケート2020-03-06
1360スケートスケート氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性など氷上でスケートを楽しむ様子。2020-03-06
1359アイスホッケーアイスホッケーゴール前で記念撮影。帽子や服装が似ている人がいる。リンクの周りには柵がなく見物人、歩行者らしき人もいる。2020-03-06
1358スケートスケート秋宮リンク、北側の斜面には家はまだ少なく、畑になっている。万国旗が頭上に飾れれている。2020-03-06
1296白鶴社三井製糸白鶴社三井製糸白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。2020-03-06
1292昭栄製糸昭栄製糸昭栄製糸(小口竹吾)明治42(1909)年創業743釜(昭和3年)。山十※組下諏訪製糸が昭和6(1931)年昭栄製糸となり昭和32年三協精機(現日本電産サンキョー)オルゴール部、昭和37(1962)年本社となる。煙突と煙突の間の森は下社秋宮。 大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える⇒山十組の破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がback up 昭和6(1931)年昭栄製糸が誕生。2020-03-06
1289座繰共同組合施設座繰共同組合施設座繰共同組合施設(平沢町青雲館北)。明治13年三井、増沢、岩本、岩波、小口が共同繰糸(揚返)所「白鶴社」を創設(現下社秋宮社務所)明治21年平沢町現青雲館北へ移築。製糸共同組合白鶴社(共同出荷=揚返)は明治9(1876)年創始の組合で、明治29(1896)年12月23日の信濃毎日新聞には「・・・本年信州にて売上頭は白鶴社となり・・・」と記載されており、町内の七曜社・開栄社ととも製紙業を支える働きをしていた。2020-03-06
1285座繰協同組合施設座繰協同組合施設明治13年三井・増澤・岩本・岩波・小口氏等が共同揚返所「白鶴社」を創立(現下社秋宮社務所)、その後明治21年平沢町青雲館北へ移築された時の写真。2020-03-06
1258御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。2020-03-06
1245御柱祭御柱祭御柱祭。秋宮一之柱、神楽殿横にて建御柱2020-03-06
1244御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮1之柱の建て御柱の様子。2020-03-06
1241御柱祭御柱祭御柱祭、秋宮1之建て御柱、右に神楽殿柱の向うに狛犬(現在とは形が異なることから供出前)。2020-03-06
1219お舟祭りお舟祭りお舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。(石畳もある)2020-03-06
1215出征兵士を送る出征兵士を送る秋宮境内沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)2020-03-06
1182木の下町の民家木の下町の民家木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州街道はここで江戸からの53里、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば春宮に向かい、江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。2020-03-06
1171大社煎餅大社煎餅師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。2020-03-06
1168二年詣り二年詣り諏訪大社の二年詣り、午後11時頃から人手が急に増え12時近くには、境内は身動きできない人込みで埋まった。24時 歓声を上げて賽銭を投げる人たち(2020-03-06
1153菅野温泉菅野温泉市街地中心にある「菅野温泉」の入り口。トンネルのような通路を経て湯に至るあたり独特の雰囲気が漂う。製糸業が盛んになり始めた明治18(1885)年財産区から湯をひいて八幡坂下に開設した。2020-03-06
1148人力車の花嫁と花婿人力車の花嫁と花婿大社での神前結婚式へ人力車で向かう花嫁と花婿(山王台)。秋宮外苑のホテルが下社秋宮で挙式するカップルの送迎用に購入した。2020-03-06
1145七五三の宮参り七五三の宮参り七五三の宮参り風景(秋宮)。この年は男児の和装が例年になく多く目についたという。近年七五三の宮参りも11月に入る前から参拝風景が見られる。2020-03-06
1126宵祭り宵祭り7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。2020-03-06
1109秋宮の七五三柱(しめばしら)秋宮の七五三柱(しめばしら)秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。2020-03-06
1095うらかめやうらかめや4階の展望風呂から秋宮の森や諏訪湖が眺められる、江戸時代からの宿「うらかめや」。2020-03-06
1081新鶴本店新鶴本店名代「新鶴の塩ようかん」の店。本州のほぼ中央にあって海から遠い諏訪地方は、昔から塩をことのほか大事に扱ってきた。その塩をようかん造りに生かしたところに独自さがある。明治6(1873)年創業で、十勝産の小豆だけを使い、茅野市産の寒天を使って、職人さんが火力の強いナラ薪を燃やして煮詰め、木船に流し込んで練り上げるという、昔ながらの製法にこだわっている。店は秋宮の脇、旧下諏訪宿の面影を残す一角にある。江戸末の画人天龍道人が住んでいたという案内板がこのすぐ横にある。2020-03-06
1066秋宮社務所秋宮社務所座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)2020-03-06
1050御射山祭御射山祭数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。2020-03-06
1043夜の木の下夜の木の下大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。2020-03-06
1029秋宮に着いた柴舟秋宮に着いた柴舟この年の御頭郷は岡谷、秋宮境内へ引き入れられた柴舟。この後柴舟は神楽殿を3周した後神事相撲などの奉納をし翁媼の人形のおたき上げを内御玉戸社(うちみたまどしゃ)で行い祭りは終了する。柴舟に飾られた柴を悪疫退散のお守りや縁起物として多くの人が持ち帰る風習も残る。2020-03-06
1028お舟祭りの柴舟お舟祭りの柴舟諏訪大社下社の祭神の御霊代(みたましろ)は春宮と秋宮の社を2月1日と8月1日に遷座する。春(2月1日)は秋宮から春宮へ、秋(8月1日)は春宮から秋宮に遷座する。春はひっそりと静かに、夏は神霊遷座の行列の他に青芝を取り付けた巨大な柴舟に翁(おきな)媼(おうな)の神像を会い向かいに飾り曳行する。神霊奉遷の厳粛な行事と柴舟の曳行の行事が別に行われるため、祭りの中心がお舟の曳行になり、8月の遷座祭をお舟祭りとよんでいる。(四つ角付近の柴舟)2020-03-06
1014お舟祭り宵祭りお舟祭り宵祭り諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。2020-03-06
1001秋宮の観光客秋宮の観光客昭和59(1984)年に引湯した時に参拝の手水(ちょうず)用にと新設したもの。湯口は竜神伝説にちなんで竜の口をかたどった(御神湯)。50℃を越す熱さで観光客に人気がある。秋宮の観光客がお湯の出る手水を前にひとしきり談笑している。2020-03-06
994世界最大のオルゴールメーカー三協精機世界最大のオルゴールメーカー三協精機三協精機旧社屋。現在下諏訪町内にはオルゴールの展示館(すわのね)やオルゴールの組み立て体験ができる「おいでや」などがある。また諏訪大社秋宮の鳥居前では20分ごとにオルゴールの音色で観光客を迎えている。2020-03-06
969大社四つ角風景大社四つ角風景国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。2020-03-06
923土蔵土蔵桃井屋敷と消失前の土蔵。8月21日に焼失。「すわ湖の町の平成元年」80pには焼失した写真が掲載されている。 №1047参照。2020-03-06
900秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギャア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。2020-03-06
848下社春の遷座祭下社春の遷座祭諏訪大社下社、春の遷座祭。秋宮を発つ遷座の行列。御神体を秋宮から春宮へ移す祭り。春、神を山から里へ迎え耕作を守ってもらい、秋に山へ送るという古い信仰に根ざす祭りといわれている。諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、かわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
803下社遷座祭下社遷座祭諏訪大社下社、春の遷座祭(秋宮御発つ遷座の行列御神体を秋宮から春宮へ移す祭り。春、神を山から里へ迎え耕作を守ってもらい、秋山へ送るという古い信仰に根ざす祭りといわれている。すわ神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、かわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
802下社春の遷座祭下社春の遷座祭諏訪大社下社、春の遷座祭(秋宮を発つ遷座の行列)。御神体を秋宮から春宮へ移す祭り。春、神を山から里へ迎え耕作を守ってもらい、秋山へ送るという古い信仰に根ざす祭りといわれている。諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、これもまた諏訪社独特のかわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。昔は旧暦一月一日の祭りだった。 秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
789秋宮スケートリンク秋宮スケートリンクさみしい秋宮リンク「スケート離れ」現象。「秋宮スケートリンク」で検索し古い時代の写真も参考にしていただきたい。2020-03-06
776諏訪大社宮司諏訪大社宮司執務中の加藤宮司。諏訪大社宮司の加藤茂さん(当時82歳)は神社本庁から迎えられた宮司は「上下社の融合に一番気を使います。でもこの土地では御諏訪様は絶対で政党も新興宗教も超越して協力してくれます。これだけはよその土地とは違います。それだけに御諏訪様は怖い神様です。」と話していた。諏訪大社は上社(諏訪市・茅野市)下社(下諏訪町)に分かれているうえ、上・下両社とも二つのお社から成るというややこしさがあり、古くは上・下両社が血の抗争を繰り広げたこともあって、維新後、一つの神社となったが、氏子間の対抗意識が潜在していてかじ取りは難しいらしい。2020-03-06
775山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。2020-03-06
774秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。2020-03-06
765山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧「ホテル山王閣」屋上からの町並み。現在建物はなくなり駐車場になっている。2020-03-06
727騎馬奉納騎馬奉納お舟まつり。 特別騎馬奉納記念。昭和12(1937)年。2020-03-06
716翼賛壮年団(大社)参拝翼賛壮年団(大社)参拝のぼり端には諏訪郡内各町村の「翼賛壮年団」と書かれている。大日本翼賛壮年団は大政翼賛会の傘下団体の一つで昭和17(1942)年1月に結成された。各地区の若者組を退会した壮年団(組)が地域の行政にかかわる活動をしていたというがその活動は詳らかではない。その後戦時体制下にあっては戦争協力の会(大政翼賛会)として活動したところが多いという。写真は秋宮幣拝殿前と思われる。2020-03-06
714御柱山出し御柱山出し山出し記念写真。法被は「下諏訪消防組」。右後列には「救護、下諏訪消防組」の旗がある。「秋宮四之御柱」の前での撮影。柱の並んでいる様子から山出しの最終日の注連掛と思われる。2020-03-06
706下諏訪宿風景下諏訪宿風景明治22(1989)年(推定)当時は、この横町・木の下・湯田町が下諏訪宿の中心街であった。写真左手前の旅籠屋が菊本(元桧物屋)で、甲州街道の終点で甲州道中と中山道合流地であった。高い火の見櫓(ヤグラ)のむこうに秋宮の森が見える。右側には桔梗屋の看板が見えている。中山道は桔梗屋前で右・立町に折れて塩尻峠に向かっている。この写真は米国人が写したもので、早稲田大学図書館に所蔵されているものを提供されたものと言われる。 建物は宿場らしさが残っているが、軒に街灯・軒灯が見えている風景が時代の変化を思わせている。2020-03-06
676湯田坂より坂上を望む湯田坂より坂上を望む湯田坂下より坂上(秋宮方面)を望む。いくつか旅館の名前が見える。昭和40年撮影。2020-03-06
653記念写真秋宮記念写真秋宮諏訪大社下社神楽殿前。いつ何の記念写真かは不明。2020-03-06
652記念写真秋宮記念写真秋宮下社秋宮鳥居前。手水舎が八幡坂側にある。何の記念写真かは記録がない。2020-03-06
636陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。2020-03-06
614下諏訪全景下諏訪全景中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。2020-03-06
590下諏訪宿場周辺下諏訪宿場周辺明治22年(1889)年(推定)当時はこの横町・木下・湯田町が下諏訪町の中心であった。左手前の旅館が菊本(元桧物屋)で、その陰に綿の湯があり曲の手の向こうが木の下町で甲州街道の終点。奥に見える森は秋宮。右側に「ききょうや」の看板が見えている。桔梗屋前で右立町に折れて塩尻峠に向かっている。街の建築様式をはじめ街灯・軒灯のあるのに注目したい。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。2020-03-06
589本陣庭園本陣庭園中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。2020-03-06
582下諏訪温泉の光景下諏訪温泉の光景左に「かめやホテル」右に「まるや」の看板、正面に秋宮の森が見える。止まっている車は、昭和33(1958)年から製造・販売された「スバル360」と思われる。田中町河西広氏蔵の写真。 昭和52年12月複写2020-03-06
580秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)松葉屋全景。写真下に「割烹松葉屋 電話 二十六番」とある。2020-03-06
579秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥三井製糸第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。2020-03-06
571秋宮右手の石垣秋宮右手の石垣秋宮左手の石垣。道は下諏訪宿へ入る甲州道中の江戸側の 入り口である。石垣正面の曲がり角は宿場への枡形お部分で番屋が置かれていた。2020-03-06
569下社神宮寺大坊の石垣下社神宮寺大坊の石垣かつて下社秋宮の東側には16200坪とも言われた境内に千手堂や三重塔、仁王門、弥勒堂、方丈が建立され、たくさんの院坊が付属していた。明治維新の時、太政官布告「神仏判然令」により仏教が排撃を受け、仏像の一部は他の寺に逃れたものもあったが、神宮寺は破却されてしまった。写真は下社神宮寺大坊方丈の石垣の跡である。(言成地蔵尊横)2020-03-06
568陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。2020-03-06
566昭和7年航空写真昭和7年航空写真中央の白い屋根が青年図書館。その向うの黒い建物が霞城館2020-03-06
561陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真航空写真。写真の中心近くに下諏訪学校の三階の望楼が分かる。旧甲州道中、旧中山道、八幡坂などの様子や秋宮鳥居周辺の戦前の建物が密集している様子がよくわかる。2020-03-06
560陸軍航空隊航空写真陸軍航空隊航空写真大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。2020-03-06
549秋宮神楽殿秋宮神楽殿「諏訪大社神楽殿及日本一駒犬」と写真下に書かれている。昭和6(1931)年9月18日には満州事変戦勝祈願も行われている。狛犬(駒犬)は昭和5(1930)年11月吉日に竣工。神楽殿をかこむようにしめ縄飾られている。現在の神楽殿正面の大しめ縄は戦後からのものである。 この狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。現在の狛犬の説明には「青銅製の狛犬としては日本一」と紹介されている。2020-03-06
548八幡坂改修工事落成式八幡坂改修工事落成式八幡通り改修工事落成式。 このときから八幡町を大社通りと改称。2020-03-06
547大社の朝大社の朝昭和5年(1930)献上された狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。(撮影者大槻十三春)狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。青銅製の狛犬としては日本一と紹介されている。 ※昭和四十(1965)年度 特選 大社の朝(大槻十三春)2020-03-06
546秋宮鳥居前秋宮鳥居前「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。2020-03-06
545秋宮幣拝殿秋宮幣拝殿諏訪大社秋宮幣拝殿。手前右は神楽殿。幣拝殿にとりつけられている幕の神紋(梶の葉紋)の足は4本になっている。2020-03-06
544八幡社から千尋池を写す八幡社から千尋池を写す八幡社境内から千尋池を写す。2020-03-06
543秋宮鳥居前秋宮鳥居前「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎が銅鳥居の右袂にあった。銅鳥居の左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。2020-03-06
542秋宮鳥居前秋宮鳥居前秋宮鳥居前、辻屋の看板に「参拝土産、大社飴 電話四十五番」とある。当時はみな町湯へ出かけていった、綿の湯へは秋宮社や辻屋の前を通った。2020-03-06
539陸軍航空隊一般航空写真陸軍航空隊一般航空写真複葉機からの航空写真。下諏訪駅と下諏訪学校や秋宮の森、青塚などが見える。2020-03-06
528東郷平八郎献額東郷平八郎献額諏訪大社秋宮の神楽殿正面に東郷元帥筆の「日本第一大軍神」の大額が奉献さる。この額は戦後は秋宮拝殿の左片拝殿にある。(刻者は篆刻師八幡郊處)2020-03-06
526献米運動献米運動敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。2020-03-06
525建設途中の山王閣建設途中の山王閣山王台に竣工した国民宿舎山王閣。手前に手入れの行き届いた桑畑が残っているのがわかる。№520,521と比較して見ていただきたい。2020-03-06
521建設途中の山王閣建設途中の山王閣建設工事中の山王閣。秋宮南隣りの神宮寺大坊跡から裏側を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №520,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
520山王閣山王閣国民宿舎山王閣を秋宮側からその正面を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №521,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
519千尋館千尋館諏訪大社下社秋宮、右手前は千尋池、その奥には手水舎が見える。正面は千尋館で現在は土産物店「専女八幡」となっている。2020-03-06
516博物館博物館昭和27(1952)年7月21日、神社と共用の博物館が、諏訪大社下社秋宮の神饌所を借用してできる。写真中央が当時の下諏訪博物館。歴代館長は昭和25(1950)年5月矢ケ崎輝雄・同29(1954)年6月三輪良三・同47(1972)年4月小口利市。写真左は昭和38(1963)年に建設された下社宝物殿。中央が下諏訪博物館で右はお守り札の授与所である。2020-03-06
509八幡坂改修渡り初め八幡坂改修渡り初め八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。2020-03-06
500宝生橋宝生橋諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。2020-03-06
497宝生橋宝生橋甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。2020-03-06
470秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ平岡露子(大正2~平成23・1813~2012)選手。昭和8(1933)年全日本フィギュアスケートジュニア選手権で女子の初代チャンピオンとなった選手。2020-03-06
467スケートスケート大勢の子ども達がスケートを楽しんでいる。秋宮リンク。2020-03-06
466スケートスケート秋宮リンク、桑畑や万国旗が見える。2020-03-06
462スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。2020-03-06
456スケートスケート秋宮リンク。後ろに桑畑が見える。2020-03-06
455スケートスケートスケートを楽しむ男性。2020-03-06
454スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。2020-03-06
450スケートスケート秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。2020-03-06
449スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ子ども。靴スケートがいかにもほこらしげ。2020-03-06
443スケートスケート革のスケート靴をはいて滑る男性。秋宮リンクで後は秋宮の森。2020-03-06
442スケートスケート№4400の男性たち、秋宮の森をバックに記念撮影、パイプをくわえている男性もいる。2020-03-06
441スケートスケート着物姿でスケートを滑る男性、革のスケート靴を履いている。2020-03-06
440スケートスケート洋装の男性たちが革のスケート靴で滑っている。中にはたばこをくわえている男性もいる。秋宮リンク。2020-03-06
439スケートスケート革のスケート靴を履いて秋宮リンクでスケートをする男性、万国旗も見える。2020-03-06
438スケートスケート革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
437スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?2020-03-06
436スケートスケート秋宮リンク。アイスホッケーを楽しんでいる。後ろの建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
435スケートスケート下駄スケート・着物姿の人見える。下駄スケートは明治39年(1906)年頃初めて考案された。2020-03-06
434スケートスケート秋宮リンク。スケートを楽しむ男性と女性。立派な靴スケートや服装から衆目を集めたに違いない。2020-03-06
433スケートスケート秋宮リンク。スケートを楽しむ男性と女性。頭上に万国旗の飾りが見える。2020-03-06
432スケートスケート秋宮リンク、後の山は小湯の上の桑畑。2020-03-06
431スケートスケート秋宮リンク、万国旗の飾り見える。2020-03-06
430スケートスケート秋宮スケートリンク。男性が革のスケート靴を履いて滑っている。2020-03-06
429スケートスケート秋宮スケートリンク。万国旗と桑畑の広がる様子が見える。2020-03-06
412秋宮前秋宮前秋宮前。手水舎(写真向かって左)の左奥に千尋池がある。2020-03-06
411千尋池復旧前の家並千尋池復旧前の家並秋宮前の新しい道とバス停。昭和18(1943)年千尋池が復旧。2020-03-06
402秋宮前秋宮前下社秋宮、手水舎(後ろに千尋池)。2020-03-06
391下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。写真手前の左側の建物は片倉製糸、右側が入一製糸、左端の樹木は秋宮の森、その隣が現下諏訪中学校。2020-03-06
390大社通り大社通り秋宮周辺、大社通り。写真手前が下社秋宮。2020-03-06
386旧役場旧役場大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。2020-03-06
287航空写真 秋宮周辺航空写真 秋宮周辺下社秋宮の森、今はない山王閣の建物が見える。画面左下には青塚が見えている。2020-03-06
274千尋館千尋館秋宮鳥居前にあった料亭・千尋館。その前はうなぎの蒲焼の松葉屋であった。2020-03-06
262売神祝印(メガミホオリノイン)売神祝印(メガミホオリノイン)「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)」は諏訪大社下社の御神宝(宝印)で印筥(いんばこ)と共に昭和9(1934)年に国宝(現在は重要文化財)の指定を受けた。社伝によれば大同年間(806から810)平城天皇より下賜されたものといわれ、美しい鋳物肌を持つ銅印である。かつていったん失われ、秋宮境内の千尋池から発見されたと伝えられているが真偽は分からないという。2020-03-06
229大詔奉戴日の行進大詔奉戴日の行進大詔奉戴日の行進(大東亜戦争のはじまった12月8日を記念し以降毎月8日を記念日として、戦意の高揚をはかった。)写真は翼賛壮年団。生徒は小学校に集合し秋宮から春宮へと行進した。この行進に参加しない者は問題視された。2020-03-06
228大詔奉戴日の行進大詔奉戴日の行進昭和17(1942)年大東亜戦争の始まった12月8日を記念して以降毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とし戦意の高揚をはかった。その日の行事として秋宮から春宮まで行進した。写真は女子青年団。2020-03-06
199芸者踊り芸者踊り三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。2020-03-06
107新潟県人会新潟県人会この頃、県人会など絆が固くまとまっていた。新潟県人会には魚屋さんが多かった。2020-03-06
105諏訪中入学の記念写真諏訪中入学の記念写真下諏訪からの通学者の入学後の記念写真。1年生が後ろで5年生が前、現在では考えられない。下諏訪黎明会という会を作っていた。後ろの秋宮幣拝殿の前に釣り灯篭があるが、その後行方不明になっている。前列の生徒の足元を見ると約半数は下駄をはいている。2020-03-06
102結婚式の記念写真結婚式の記念写真諏訪大社下社秋宮での結婚式の記念写真。2020-03-06
101成人式記念写真(女性)成人式記念写真(女性)この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。2020-03-06
100成人式記念写真(男性)成人式記念写真(男性)この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。2020-03-06
90女子フィギアースケート選手女子フィギアースケート選手秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。2020-03-06
89皇太子秋宮参拝皇太子秋宮参拝宮司と共に参拝され説明を聞かれる皇太子殿下。(平成天皇陛下・令和上皇様)2020-03-06
85下諏訪町消防団下諏訪町消防団下諏訪町消防団記念写真。2020-03-06
83下諏訪町警防団下諏訪町警防団下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団(昭和22(1947)年まで)が設置された。団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。中央には警察官の姿も見える。2020-03-06
82横綱吉葉山来訪横綱吉葉山来訪大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助。民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた2020-03-06
74御田植祭御田植祭早乙女の皆さんを前に祭式関係者の記念写真。2020-03-06
71紀元二千六百年記念紀元二千六百年記念紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。2020-03-06
70第三区出征軍人健勝祈願記念写真第三区出征軍人健勝祈願記念写真第三区出征軍人の健勝を祈願した際の記念写真。多くの子ども、学生も動員されている。昭和10(1935)年代に消防組から消防団となり、はっぴ姿も見える。供出前の狛犬も映っている。(狛犬は昭和19(1944)年に供出。)2020-03-06
69裏参道開通記念裏参道開通記念昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。2020-03-06
56広瀬町町少年団広瀬町町少年団広瀬町少年団の団旗完成記念写真。昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。2020-03-06
52自動車自動車大正12(1923)年 ※丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線への整備に人力し、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に ※丸S自動車株式会社などが設立された。         2020-03-06
49第三区出身軍人健勝祈願第三区出身軍人健勝祈願愛国(国防)婦人会(現婦人会)約200名が健勝祈願したときの記念写真。写真に「昭和十四年十一月三日第三区出身軍人健勝祈願・下諏訪町国防婦人会第三班」とある。昭和12(1937)年に日中戦争に入り、昭和14(1939)年は4月から米穀配給統制法公布など戦争体制化まっ只中であった。2020-03-06
48注連縄製作完成記念写真注連縄製作完成記念写真大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。2020-03-06
47節分祭の記念写真節分祭の記念写真このとき現在の節分祭の形ができた。この頃は年男60歳と年女20歳が節分祭に参加した。2020-03-06
46実業団野球選手行進実業団野球選手行進実業団野球大会が鷹野町野球場で行われた。そのときの選手団が諏訪大社下社秋宮に参拝、その後消防団ラッパ隊の先導で球場まで行進した。2020-03-06
35秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク右から桔梗屋の両角氏、ファイトマンの体協事務局の両角氏、女装の城取(写真館)氏、旦那に扮装したプリンスホテルの武居氏。冬の寒さも楽しんでいる諏訪人の様子が現れた一枚である。またスローガンと書かれた紙をよく読むとこのころの世相が読み取れて楽しい。2020-03-06
34秋宮スケートリンク カーリング大会表彰式秋宮スケートリンク カーリング大会表彰式カーリング大会表彰式 絵葉書にしたものを撮影して引き伸ばした写真。右下には「SHIMOSUWA H・SHIROTORI」の刻印が見える。左下には一銭五厘の切手と諏訪郵便局の印(昭和7年1月21日の日付印も)が見える。2020-03-06
33秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク秋宮リンク、アイスホッケーの練習風景。この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑(桑畑や稲わらを積んだにょうも見える)が広がっている。2020-03-06
32秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。2020-03-06
20秋宮周辺航空写真秋宮周辺航空写真上諏訪の勝山写真館が赤砂飛行場から離陸した飛行機から撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。2020-03-06
18出征家族写真撮影関係者出征家族写真撮影関係者戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。2020-03-06
12御田植祭03御田植祭03諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。この頃からカラーフィルムが使用され始めて、カラー写真に人気があった。2020-03-06
11御田植祭02御田植祭02諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。舞を担当する女の子と苗を植える早乙女役の女性の服装の違いがよくわかる。2020-03-06
10御田植祭01御田植祭01諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。2020-03-06
9千尋池千尋池千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。写真は改修工事完成の記念写真で、大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なおちひろ講は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
5秋宮鳥居前集合写真秋宮鳥居前集合写真徴兵検査合格者の記念写真。旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。手水舎が現在と反対側にある。昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。千尋館二階から撮影された。2020-03-06
4秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。2020-03-06
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