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登録リスト(該当:230件)

管理番号写真タイトル説明登録日
1545石投げ場石投げ場北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。上諏訪方面からSLが煙を出し走っている。2020-03-06
1544石投げ場石投げ場北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。2020-03-06
1540旧中部電力旧中部電力1539と同じ建物。みなと屋側から撮影(奴の看板が見える)2020-03-06
1539旧中部電力旧中部電力立町の中部電力㈱下諏訪営業所を、リノベーションをし、現在は「諏訪湖時の科学館儀象堂」になっている。工事作業中の写真。2020-03-06
1536大社通り大社通り大社通り「有賀商店」、手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧公民館、その前は下諏訪町役場)2020-03-06
1535大社通り大社通り大社通り有賀商店。右隣は第一交通タクシー。2020-03-06
1530高浜付近高浜付近新田中線沿いにあった「サンアイ」・「諏訪湖市場」の看板付近と高浜運動公園。2020-03-06
1514立町の路地立町の路地立町の路地、突き当たりに御湖鶴、手前に日進学園(そろばん)がある。2020-03-06
1465公衆トイレ公衆トイレ湖岸に設けた公衆トイレ。2020-03-06
1463コスモス街道コスモス街道「コスモス街道づくり」諏訪湖岸の観光と景観美化を兼ね各種26団体が協賛、町民参加によりコスモスの花で湖岸を美化などを目的に行われた。写真は小学生によるコスモスの定植家業の風景。2020-03-06
1459湖岸道路開通湖岸道路開通湖岸道路竣工式。2020-03-06
1456鯉の養殖鯉の養殖その後、諏訪湖の汚れや病気のまんえんなどもあって減少していった。2020-03-06
1455鯉の養殖鯉の養殖網イケスによる鯉の養殖は、諏訪湖漁業振興事業のひとつとして県水産指導所で昭和35年より採る漁業から育てる漁業へと研究を進めてきたもので昭和39年に26面の網いけすで事業化した。その後、湊・豊浜区・渋崎・岡谷へと広がっていった。2020-03-06
1441町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制施行100周年記念下諏訪町植樹祭の垂れ幕と下諏訪北小学校の旗が見える。町の理事者(高木町長など)の姿も見える。下諏訪北小学校には「みどりの少年団」があり「アマゴの放流」など自然環境について学ぶ学習が行われている。2020-03-06
1440町制施行100周年事業町制施行100周年事業いずみ湖のテニスコート。3月29日に全天候型テニスコート8面が完成、4月18日にオープンした。2020-03-06
1439町制施行100周年事業町制施行100周年事業100周年記念事業のひとつとして、いずみ湖公園と東俣町有林で記念植樹が行われた。それぞれ「町民自らの手による緑豊かな空間の創造」「森林資源の造成と緑豊かな住みよい郷土づくり」を目的にいずみ湖公園にモミジを1300本・オオヤマザクラ200本を、東俣町有林には将来の御柱語用材用としてモミの苗木1000本を植樹。写真はいずみ湖での植樹の様子。2020-03-06
1438町制施行100周年事業町制施行100周年事業町制施行100周年植樹祭「高木清允町長」2020-03-06
1437スケートスケートスイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。2020-03-06
1436スケートスケート諏訪湖のスケート 諏訪中(旧制)の生徒か? 古田明氏寄贈2020-03-06
1434冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。2020-03-06
1433冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機を陸に上げる。2020-03-06
1432冬の諏訪湖冬の諏訪湖諏訪湖の氷上に着氷した飛行機。2020-03-06
1414スケートスケート「信州諏訪湖上スケート」当時のスピードスケート選手 中村龍雄氏出品2020-03-06
1413スケートスケート諏訪湖で初めてのスケート大会。「下諏訪諏訪湖氷辷(こりすべり)会発会式」 会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。写真下に「第四百三十二回諏訪湖スケート倶楽部発会式」下諏訪町高浜湾の文字。南信日日新聞後援であった。2020-03-06
1397スケートスケート氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑になっている。2020-03-06
1396スケートスケート諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)2020-03-06
1393漫画すごろく漫画すごろくスケーティング漫画すごろく。(拡大写真)2020-03-06
1392漫画すごろく漫画すごろくスケーティング漫画すごろく。(拡大写真)上がり・停車場・競争・夜景などの文字が読める。2020-03-06
1391漫画すごろく漫画すごろくスケーティング漫画すごろく。(拡大写真)2020-03-06
1390漫画すごろく漫画すごろくスケーティング漫画すごろく.2020-03-06
1388スケートスケート冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見える。2020-03-06
1387スケートスケート冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。2020-03-06
1386スケートスケート冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。2020-03-06
1385スケートスケート(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート2020-03-06
1383スケートスケート(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート2020-03-06
1382スケートスケート(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。下駄スケートは見られない。2020-03-06
1367スケートスケート諏訪湖で初めてのスケート大会。「下諏訪諏訪湖氷辷(こりすべり)会発会式」 会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。写真下に「第四百三十二回諏訪湖スケート倶楽部発会式」下諏訪町高浜湾の文字。南信日日新聞後援であった。2020-03-06
1365スケートスケート在京中の各国大使がスケートに来湖する。写真は英国代理大使ローザ夫妻が、下諏訪駅前で記念撮影したもの。2020-03-06
1362スケートスケート2020-03-06
1317大鯉大鯉諏訪湖で捕獲された大鯉、昭和18年3月夜半に諏訪湖中心部の湖底の粗朶にひそむ大鯉を友之町小口元雄が投網で捕獲。身長4尺、胴回り3.5尺目方8貫匁。2020-03-06
1316諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を3400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。ヤツカ量は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ行われなくなった。諏訪湖ヤッカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2020-03-06
1315キヨメ漁キヨメ漁氷下のキヨメ漁。刺し網の一種。土地のくも糸やカスミ網のように水中に帯状に屏風のように立て横に長く張っておき、回遊してくる魚を網に絡ませたりさしたりしてとる。網目の大きさによって捕る魚が異なるが写真のキヨメの網目は1.5~4cm以内、高さ50cm~1m、長さ12.3mの網を継ぎ足して張りわかさぎ・はや・ひがい・もろ・あかうおを捕る。同じ網でも網目の粗いものは「タケタカ」といって鯉・大ぶな・なまずをねらった。2020-03-06
1308ナンバナンバ諏訪湖周辺の湿田で昭和初めに、地下足袋、ゴム長靴の出るまで使用された、右が板ナンバ、左が桶ナンバ。泥沼のような水田での作業はいろいろ工夫された農具があった。素足で歩けないので板ナンバや桶ナンバと呼ばれるものも使用した。重い荷物は田舟にのせて運んだ。特に諏訪市の湖岸に多かった。2020-03-06
1297製糸工場製糸工場堀内忠夫氏の製糸場。中央通り旧湖北工業跡、現フレール隣、大正8年創業の角ヤ※小口組製糸工場が昭和6年の大恐慌で倒産、その後青木村出身の堀内忠夫氏(後の町議会議長・商工会議所会頭)が引き継ぐが、昭和32年廃業。 2020-03-06
1282天然氷の採氷天然氷の採氷明治39年12月下諏訪町に諏訪湖天然氷株式会社が創立。前面が採氷作業、向うの湖岸は積み上げてある氷を農家の若者が山車へ満載して下諏訪駅近くの大氷庫へ運ぶところ。溶けない氷として送出先の氷水屋・病室用に喜ばれたが、大正中ごろまでには人造氷の出現で惜しくも衰退。2020-03-06
1281諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業沿岸の深さ2m位の湖中へ15~20㎝の角張った石を3400個ほど入れて丸い塚のように積み上げ冬ごもりに集まってきた魚を捕る漁法。ヤツカ量は冬の諏訪湖で欠くことのできない漁法だったが昭和40(1964)年代に漁場が護岸工事などで失われ行われなくなった。諏訪湖のヤッカ漁、全盛期の写真。(ヤツカは屋塚・石塚とも書く)2020-03-06
1280諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業かぶせ網漁法の一つ、投網をうつ。諏訪湖の投網は使用する場所や漁獲する魚によって大きさや網の目等が異なり種類が多い。また一人でうつ・仲間と集団で追いうちをすることもある。2020-03-06
1279諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業貝掻き2020-03-06
1277諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業えび押し漁2020-03-06
1276諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業貝掻(か)き。淡貝(からすがい)をかく漁具を諏訪湖では「貝かき」と呼ぶ。諏訪湖で取れる貝は蜆(しじみ)・淡貝(からすがい)・たにしなどだが漁獲は蜆が圧倒的に多い。貝かきの道具は蜆じょれんよりやや大型のもの。2020-03-06
1275諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業流し針漁。諏訪湖には「流し針」と呼ぶうなぎ漁がある。これは海で行われる「はえなわ」と同じ。夕方針を流し、翌朝未明にあげるが、流す時刻・水温・場所・により成果は左右された。えさはみみず・ひる・しったか(アブの幼虫)・おけら・やごめ(とうくろ)など様々。2020-03-06
1274諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業えび押し漁。藻草の中にいる小エビを専用の道具使う漁法、片手押しと両手押しがある。2020-03-06
1273諏訪湖の漁業諏訪湖の漁業出格子(でごうし)漁。諏訪湖では「ろうや」のことを出格子と呼んでいる。ねらう魚種により大きさや目の巾やつくりが異なる。漁師の手作りなのでそれろれが工夫を凝らしていた。2020-03-06
1229岡谷市街地を望む岡谷市街地を望む昔の岡谷、市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川の河口が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。2020-03-06
1214赤砂飛行場赤砂飛行場飛行機の機体下にロープが見える。水上からの離葉着を試みているようだ。湖での飛行訓練。2020-03-06
1213赤砂飛行場赤砂飛行場湖での飛行訓練2020-03-06
1212赤砂飛行場赤砂飛行場湖での飛行訓練2020-03-06
1211赤砂飛行場赤砂飛行場湖での飛行訓練2020-03-06
1210赤砂飛行場赤砂飛行場湖での飛行訓練2020-03-06
1209赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場2020-03-06
1208赤砂飛行場赤砂飛行場赤砂飛行場2020-03-06
1201砥川河口の橋砥川河口の橋完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3件あった。2020-03-06
1184カワヤナギの並木カワヤナギの並木昔の諏訪湖の汀線に自生したカワヤナギの並木。この辺りは埋め立て前は「ヨナ」などの小魚が遊ぶ美しいなぎさだった。「ヨナ」はトンコよりやや小さく体長が2cm位の細長い魚。2020-03-06
1181県道岡谷・下諏訪腺県道岡谷・下諏訪腺湖に近い新開地の県道。湖畔の美田地帯が土地計画事業で生まれ変わった。20m幅の県道沿いに大型店が進出しこの地方でも指折りの商店街に成長した。2020-03-06
1177和風レストラン和風レストラン松本に本拠をもつチェーン店の諏訪進出第一号店。現在は閉店し上諏訪に支店がある。湖岸通りに開店した和風レストラン元庄屋諏訪店。2020-03-06
1175ジョギングロードジョギングロード完成したジョギングロード。埋立地の町道湖岸通り線を5憶3200万円かけて改良した。3m幅のジョギング道・緑地帯・車道・並木・自転車・歩行者道という構成でで22m、道路は整備された。2020-03-06
1174舟道舟道舟道と漁業者の家。2020-03-06
1172十四瀬川河口十四瀬川河口十四瀬川河口。写真正面の船着き場の横に延命地蔵がまつられている。2020-03-06
1152長岡鯉店長岡鯉店湖魚の店。鯉のうま煮・まる揚げ・丸煮・鮒の甘露煮・唐揚げ・雀焼き・かぶと焼き・とんこの佃煮・ウナギのかば焼き・・・にぎやかな品揃えの長岡鯉店、昭和31年鯉池の経営者が小売店として開店した。2020-03-06
1150郊外パチンコ店郊外パチンコ店湖畔のパチンコ店「新台入れ替え」で大入りだった。この店、この春全面改装し、店名も変わった。2020-03-06
1147木村氏木村氏俳誌「夏爐」の発行所。諏訪湖畔四王の里の自宅で来客と話す俳人木村蕪城氏虚子直門の一人。鳥取県の生まれだが縁あって信州に住むことになった。主催する「夏爐」もこの年この月で473号に達した。2020-03-06
1146湖国新聞の印刷湖国新聞の印刷湖国新聞の印刷風景。昭和60年から写植機を導入、印刷は平台の凸版刷りのタブロイド判4pの日刊紙を発行。昭和32年創刊。前身の雑誌は「湖国新報」は大正13年創刊された。大正、昭和にかけて多くの郷土誌紙が発行された。現在新聞は休刊、この建物もなくなり一般住宅となっている。2020-03-06
1136富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景) (信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。2020-03-06
1133漁業者の家漁業者の家富部地区、漁業者の家。山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へ降りる舟道が通じ、これにそって半農半漁の村が形成された。舟道も旧国道20号線(手前の道)と鉄道で断ち切られた。2020-03-06
1130ゴミ回収船ゴミ回収船湖のゴミ回収船でワカサギ釣り(みずべ公園)。風で吹きよせられたゴミを回収するゴミ回収船が導入された。回航された船を見つけた釣り人が格好の釣り場、早速「拝借」となった。2020-03-06
1110温泉ボーリング温泉ボーリング高浜3号井温泉掘削起工。新式の掘削機で温泉のボーリング。町の温泉第三号井の掘削がこの日湖畔の高浜で始まった。これまではローリー式だけの掘削に、ターンテーブル方式を加えた兼用掘削機が導入され高速化され、地上の振動も少ないという。町の新規温泉開発は町内全域へ温泉供給と温泉統合が目的だった。。2020-03-06
1102湖国新聞社湖国新聞社湖国新聞、植字室の風景。2020-03-06
1100砥川先でのウィンドサーフィン砥川先でのウィンドサーフィン湖でウィンドサーフィンを楽しむ若者たち。諏訪湖は午後になると風の出る日が多い。ことに砥川先は風が強く遠浅であるため、ウィンドサーフィンの基地として好適。各地からサーファーが集まってくる。2020-03-06
1095うらかめやうらかめや4階の展望風呂から秋宮の森や諏訪湖が眺められる、江戸時代からの宿「うらかめや」。2020-03-06
1091旧ダイヤ豆腐社の煙突旧ダイヤ豆腐社の煙突ダイヤ豆腐工場は現JR中央線沿い北四王に敷地面積2500坪で昭和9(1934)年に旧湖畔倉庫を買収して開設された。当時の諏訪地区特産の氷(凍り)豆腐の大半(90%)を生産していた。写真は旧ダイヤ豆腐社の煙突。2020-03-06
1088わかさぎの舟釣りわかさぎの舟釣り砥川河口のワカサギ釣り。湖の水温が下がるとわかさぎ釣りのポイントが岸から沖へ移る。10月中旬から最盛期に入り、季節風の吹き出す、11月頃まで賑わう。2020-03-06
1079湖林書房湖林書房駅前通りの本屋さん。大型店が進出し、本屋さんも競争が激しくなった。2020-03-06
1078第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン「第一回諏訪湖マラソン」ゼッケン1番が最高タイムの伊藤国光選手。2020-03-06
1077第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン湖1周16.7kmのコースで4グループに分かれて行われた。最高記録は伊藤国光選手(招待選手)の52分07秒。主催は諏訪圏健康推進協会。第一回諏訪湖マラソン。平成30年、第30回大会で8000人が参加、日本陸連公式ハーフマラソンコースとなっている。2020-03-06
1076アヒルを飼うアヒルを飼うテーラーを営む上條さんは仕事の合間に湖に注ぐ砥川の土手で四季の花を植え、アヒルを飼って楽しんでいた。砥川でアヒルを飼う上条さん73歳弓道4段の腕前だった。2020-03-06
1069最後の専業漁師最後の専業漁師諏訪湖最後の専業漁師藤森さん、赤砂崎、砥川のほとりに住み、漁業一筋に生きてきた69歳(平成元年現在)、湖が自然破壊でだめになり仲間たちは漁業に見切りをつけ転職していった。「埋め立てで湧くように殖えた湖がだめになったという。漁協の稚魚放流をしているが水草帯がつぶされ水生昆虫など魚のえさも少なくなり、水揚げの70%を占めるワカサギも生育が悪い」という。漁は週3日しか許されていない。2020-03-06
1060十四瀬川河口十四瀬川河口十四瀬川の河口。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵がある。2020-03-06
1055養鯉の給餌養鯉の給餌網イケス養鯉の給餌。配合飼料に群がる湖上網イケスの鯉。飼料は自動えさまき機(テント内の小屋の中)でまいている。養鯉組合が交代で餌を補給している。2020-03-06
1053公共下水道工事公共下水道工事進む公共下水道建設、200mm管渠の敷設工事。諏訪湖流域下水道は、昭和43年秋に起きた湖水の重金属汚染騒ぎから、政府のてこ入れもあり建設が急がれた。昭和49年着工、昭和54年に一部開始。工業配水も受け入れるため、汚泥の処理が悩みの種となっている。下水道普及率は現在ほぼ100%。2020-03-06
1046諏訪湖のアオコ諏訪湖のアオコ古川から流れ出た水が諏訪湖のアオコの中に流れ込んでいる様子。アオコは植物プランクトンで藍藻・珪藻・緑藻など。2020-03-06
1040諏訪湖クリーン祭り諏訪湖クリーン祭りみずべ公園のステージを中心に行われた第9回諏訪湖クリーン祭り。2020-03-06
1038諏訪湖清掃諏訪湖清掃第9回目「諏訪湖クリーン祭り」湖岸の清掃をする人たち。全町一丸式の運動の形をとって進められている。2020-03-06
1035アカウオ釣りアカウオ釣り早朝、市街地の小川(諏訪湖に流れ込む古川の河口近く)へのぼるアカウオを釣る男性。下水道の普及で市街地を流れる川もきれいになり魚たちが戻ってきている。アカウオはコイ科の魚、河川に群で上がる姿が見られる。2020-03-06
1032鯉養殖の網イケス鯉養殖の網イケス網イケスによる鯉の養殖は、諏訪湖が発祥の地。昭和39年から下諏訪の漁業者たちによって事業化されたが昭和53年の104面をピークに減り続け撮影当時は40面。鯉養殖の網いけすが並ぶ諏訪湖。2020-03-06
1031望月楼展望風呂望月楼展望風呂望月楼展望風呂。この当時は赤砂崎には「諏訪湖ビューホテル」「諏訪湖プリンスホテル」「望月楼」の3つのホテルがあった。現在は公園や介護施設になっている。2020-03-06
1030諏訪湖岸諏訪湖岸連日の猛暑でアオコの湖に。晴天続きでアオコが急速に増殖し、湖面は緑のペンキのような色になった。2020-03-06
1021「樋門」を新設する工事「樋門」を新設する工事湖へ注ぐ小河川の河口へ「樋門」を新設する工事。湖の洪水防止のため、護岸提を1mをかさ上げし、さらに川の河口へ樋門造り増水時に逆流するのを防ぐ工事。2020-03-06
1019カトギの精霊棚飾りカトギの精霊棚飾りお盆にそなえてカトギの精霊棚飾りを買う老婆。迎え火のカンバの皮も店頭に並ぶ。マコモを諏訪地方ではカトギとよぶ。湖辺にしげるカトギで編んだ棚飾りが仏壇に敷かれると、すがすがしい香が部屋に漂う。キュウリの馬・ナスの牛などが精霊棚に供えられて祖霊を迎える準備が整う。2020-03-06
1018砥川の風景砥川の風景浮島の川遊びと「カジカ」取りの子どもたち。立春、霧ケ峰から諏訪湖へ流れる砥川で「カジカ」を追う子どもたち、砥川の清流と呼ばれてきたが、近頃はだいぶ汚れてきて、「カジカ」はほとんどとれない。2020-03-06
1004砥川土手砥川土手オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。2020-03-06
997砥川土手砥川土手砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖見向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見える、ここは弥生町にあった旧諏訪女子学園。2020-03-06
996十四瀬川の改修工事。十四瀬川の改修工事。中小河川の改修工事。湖からコイ・フナの流れなのだがここもコンクリートブロックの護岸に変えられ水辺の環境が失われていく。十四瀬川の改修工事。2020-03-06
980湖畔の湯一周年湖畔の湯一周年開業一周年をを迎えた温泉公衆浴場「湖畔の湯」。83歳の農業者が町開発した配湯から引湯して開業した。岡谷など町外からの入浴者も多く、時には長距離トラックが止っていた。当時入浴料は大人150円・小人60円入浴料の安さに観光客が驚いていた。湖畔の湯一周年2020-03-06
975諏訪湖の四ッ手網漁諏訪湖の四ッ手網漁諏訪湖の四ッ手網漁、諏訪湖畔で見られるようになったのは戦後のこと。昭和22(1947)年頃上諏訪で始まったようだ。四ッ手網漁は4-8月が好漁期で産卵期に岸辺に寄る頃が良いとされている。近頃では諏訪湖博物館の前で見られるだけになった。2020-03-06
974高木西区画整理地高木西区画整理地湖を見はらす山の手に、組合施行の区画整理事業で造成された宅地。分譲は入札で3.3hm当たり32万5000円の値がついた。高木西区画整理地。写真の後方に見える赤い屋根は元の諏訪養護学校。2020-03-06
968十四瀬川のフナすくい十四瀬川のフナすくい湖から小川(十四瀬川・古川・うなぎ沢)へ産卵にのぼるフナをすく子どもたち。雨で増水するとどっとのぼって来て、バケツ一杯も取れる時がある。十四瀬川のフナすくい。2020-03-06
961電線地中化の高浜信号機電線地中化の高浜信号機電線地中化の湖畔道路の高浜信号機。この地方で初めて電線地下埋没が実現、使用が始まった。この道路はジョギングロードも合わせて整備が進めらている。2020-03-06
955信州マウンテンパークモトクロスコース信州マウンテンパークモトクロスコース第2回信州オフロードエンヂュランス開会式(信州マウンテンパークモトクロスコース)町内の若者たちの有志が町有林を借りて開設、前年の春オープンした。2020-03-06
943諏訪湖開き諏訪湖開き諏訪湖開き、下諏訪港桟橋へやってきた「ジェットライナーすわこ」。この高速艇、岡谷-上諏訪間の定期航路に就航いた。2020-03-06
925金色のなまず金色のなまず諏訪湖でとれた金色のなまず。3月5日下諏訪町の砥川先でつかまり諏訪市水族館(湖畔のSLが置いてある辺り)入りしたなまず。黄色のの色素が強すぎて黒色の色素がないための現象らしい。「「アサヒグラフ」3月24日号「サカナだって金満時代」の見出しの記事とともに紹介し話題を集めた。水族館は現在はなくなっている。2020-03-06
922ワカサギ釣りワカサギ釣り高木大沢川湖岸のワカサギの引っ掛け釣り。産卵期で岸に近づくワカサギを狙うのがこの釣り。2020-03-06
921旧高木温泉旧高木温泉旧高木温泉は湖中「カマアナ」から「かずさ堀り(車付きのやぐらを使う掘さく法)」で大正14年掘さくし、諏訪湖畔波打ち際に区民が温泉協同組合を組織、出資し共同浴場を造り引湯した。赤彦の歌にも詠まれれて居る。その後、湯温が下がり昭和47年諏訪市堺に新たな源泉を掘り家下地籍に移した。旧高木温泉は払い下げられ、精密部品工場になった。2020-03-06
885高浜より、立春薄氷の湖を望む高浜より、立春薄氷の湖を望む高浜より、立春薄氷の湖と湖畔の町を望む。2020-03-06
884高木村の風景高木村の風景高木の村内。2020-03-06
882高木村の風景高木村の風景高木の村内。2020-03-06
853湖の至宝、美しい丸太舟湖の至宝、美しい丸太舟丸木舟のことを諏訪では丸太舟と呼ぶ。古代からの「くり舟」の面影を伝える諏訪子独特の漁舟。天然のからまつの巨木で作られていた、この舟は安定性があり操縦しやすく高波にも負けない。天候が急変することの多い諏訪湖で夜間の出漁も多い漁師の多くがこの舟を使ってきたと郷土史研究家は書いているいる。現在は文化財として諏訪湖博物館に残るだけとなっている。2020-03-06
845りんごの樹の剪定りんごの樹の剪定リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじ)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まる。2020-03-06
840昭和最後日の諏訪湖昭和最後日の諏訪湖下諏訪町東赤砂湖畔から東南方、諏訪市方面を望む(湖面の標高759m)この日の午後6時33分、昭和天皇が崩御。天候は曇りから雨に。気温-1.0℃(最低)~10.2℃(最高)暖冬の朝の諏訪湖。2020-03-06
821御湖鶴モロミ仕込御湖鶴モロミ仕込地酒「御湖鶴」の蔵元。モロミ仕込(最終日)この路40年の杜氏を始め酒造り衆は5人いずれも郡内の農家の人たち。米だけによる本作り戻っている。オンザロックでも飲める超辛口も出している。2020-03-06
820御湖鶴モロミ仕込御湖鶴モロミ仕込地酒「御湖鶴」の蔵元。モロミ仕込(最終日)この路40年の杜氏を始め酒造り衆は5人いずれも郡内の農家の人たち。米だけによる本作り戻っている。オンザロックでも飲める超辛口も出している。2020-03-06
810諏訪湖の風景諏訪湖の風景ガラス屋根は「長野県水産試験場諏訪支場アユ種苗センター」隣の赤と緑の看板は「リファイン花岡」、手前が興和自動車販売センター㈱。2020-03-06
805ユーペンハウスユーペンハウス国際ユーペンハウスでくつろぐ若い人たち。湖を見下ろす丘に建つこのペンションの建物は北欧に留学した設計家が設計した。2020-03-06
804ユーペンハウスユーペンハウス国際ユーペンハウスでくつろぐ若い人たち。湖を見下ろす丘に建つこのペンションの建物は北欧に留学した設計家が設計した。2020-03-06
800暖冬の街暖冬の街暖冬の町(左手前は施行近い町文化センター)最高気温は10.4度まで上がり春先のよう。この年の1月の平均気温は3月上旬並み。諏訪湖は3年連続御神渡りの見られない明海(あけうみ)に終わった。2020-03-06
799諏訪湖が全面結氷諏訪湖が全面結氷連日の凍みに諏訪湖が全面結氷(砥川先・対岸は岡谷市湊地区)マイナス10度の強い凍み全面結氷し酷寒の地諏訪盆地らしい景色。2020-03-06
775山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った火の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。2020-03-06
765山王閣屋上からの眺望山王閣屋上からの眺望白鳥がシベリアへ去った火の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。2020-03-06
759みぞれ降る町みぞれ降る町みぞれでひと足途絶えた夜の街、南岸低気圧によるカミ雪(県下北部に多い降雪が春が近づいた頃県下南部に降る雪のこと)で、中南部を中心に大雪となった。高地の諏訪湖周辺がなぜかみぞれ。春の前触れカミ雪が一月以上も早く訪れた。2020-03-06
750りんごの樹の剪定りんごの樹の剪定リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじ)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まる。2020-03-06
749りんごの樹の剪定りんごの樹の剪定リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじ)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まる。2020-03-06
748諏訪湖岸諏訪湖岸諏訪湖岸 コンクリートで固められていたあ2020-03-06
746ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業。採卵受精後木枠(卵わく)のシュロゲヘ卵を付ける作業。ワカサギはキュウリウオ科の差k名で口に歯があり動物プランクトンを主食とするので、富栄養湖の諏訪湖に移植され好成績をあげた。この魚は年魚で10ヶ月で成魚になり翌春産卵のためか河川の水温が諏訪湖の水温より高くなれば河川にのぼり始める。2020-03-06
744ワカサギ採卵風景ワカサギ採卵風景砥川採卵組合のワカサギ採卵作業、暖冬のため三年続きの不振、採卵量は約10億粒と極端にすきなく県外湖沼へも打撃をあたえた。諏訪湖の採卵・孵化事業は長野県水産試験場諏訪市部の指導者によって昭和6(1931)年から六斗川ではじめ昭和31(1956)年からは砥川でも始めている。2020-03-06
734ワカサギの採卵場の池ワカサギの採卵場の池砥川採卵場の池。昭和31(1956)年に諏訪湖漁協の有志が砥川河口で捕獲されたワカサギは採卵・受精され池の中で孵化を待つ。卵は約20日間で発服し一種後に孵化、その間に県内外に出荷する。写真は採卵・受精した卵を卵枠のシュロ毛につけて池につけている風景。2020-03-06
732旧高木温泉旧高木温泉旧高木温泉は湖中「カマアナ」から「かずさ堀り(車付きのやぐらを使う掘さく法)」で大正14年掘さくし、諏訪湖畔波打ち際に区民が温泉協同組合を組織、出資し共同浴場を造り引湯した。赤彦の歌にも詠まれれて居る。その後、湯温が下がり昭和47年諏訪市堺に新たな源泉を掘り家下地籍に移した。旧高木温泉は払い下げられ、精密部品工場になった。2020-03-06
731ワカサギ釣りワカサギ釣り風が冷たい岸辺でワカサギの引っ掛け釣り。2020-03-06
679水月園観音堂水月園観音堂明治35(1902)年12月10日水月会が会員32名で慈雲寺を会場に発足した。この年慈雲寺裏の金比羅山を開山し龍湖の句碑を建て水月園と命名した。また桜樹、楓200本を植え芭蕉・蕪村の句碑も建立。水月園観月堂の葉書。明治40(1907)年には観音堂を建て、子規の句碑を建てた。明治42(1909)年5月には碧倍桐来諏にあたり、水月会に招待した。その後、曽良の句碑を建てたり園域を」拡大しつつじの植栽をするなどして整備されてきた。明治28(1895)年には町に寄付され「水月公園」と改称されている。2020-03-06
671砥川先砥川先砥川先の風景。2020-03-06
660砥川砥川鷹野橋と湖畔道路の記念碑。2020-03-06
658砥川砥川鷹野橋下から上流を望む。橋の東側たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。砥川が天井川になっている様子がわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。2020-03-06
651諏訪湖遠景諏訪湖遠景2020-03-06
614下諏訪全景下諏訪全景中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。2020-03-06
610中部電力株式会社(特級)営業所中部電力株式会社(特級)営業所昭和26(1951)年中部電力下諏訪営業所となり、昭和40(1965)年11月鉄筋コンクリートの新社屋に改造される。 平成8(1996)年諏訪湖時の科学館儀象堂に改築され、現在は「しもすわ今昔館おいでや」として下諏訪町観光の拠点となっている。2020-03-06
598水月園より諏訪湖を望む水月園より諏訪湖を望む萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。2020-03-06
576春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫春宮大門先石燈篭と 丸三倉庫旧中山道添の春宮大門先石灯篭(常夜灯)〔文政12年(1829)建立〕から春宮大門の銅鳥居を望む。鳥居の奥に見える屋根は第五倉庫、常夜灯横の建物は事務所。丸三倉庫現下諏訪倉庫(三井)の六号倉庫で昭和44(1969)年諏訪信用金庫下諏訪支店(信金は昭和38(1963)年四ツ角に新築、昭和44(1969)年12月現在の場所に移転した。)丸三倉庫は「倉荷証券」を発行し金融事業も手掛けた。支配人は小口文次郎他に共同倉庫、湖国倉庫(現イングスシナノ、大和電気)をも担当したが両倉庫とも「空券事件」により廃業となった。 改修後の写真№575と比較して見ていただきたい。2020-03-06
541官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図当時の下諏訪市街地図。明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。2020-03-06
526献米運動献米運動敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。2020-03-06
525建設途中の山王閣建設途中の山王閣山王台に竣工した国民宿舎山王閣。手前に手入れの行き届いた桑畑が残っているのがわかる。№520,521と比較して見ていただきたい。2020-03-06
521建設途中の山王閣建設途中の山王閣建設工事中の山王閣。秋宮南隣りの神宮寺大坊跡から裏側を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №520,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
520山王閣山王閣国民宿舎山王閣を秋宮側からその正面を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №521,525と比較して見ていただきたい。2020-03-06
518博物館博物館昭和46(1971)年4月1日高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての下諏訪町立博物館が開館。諏訪湖の漁具、先史時代から現代までの歴史資料が展示、二号館にはスケート及び民具を展示していた。2020-03-06
517山王閣山王閣山王閣(久保海道方面からの撮影)左手の平屋の建物は諏訪湖が一望できる大浴場。武居源湯から引湯。2020-03-06
511四阿屋(あづまや)四阿屋(あづまや)明治25年、紫庭庵金桃(本名小口正衛 安政6年生まれ第2代村長・第5代町長)が武居の雨後庵町長の庭先へ四阿(あづまや)を建てる。この四阿は郡内の俳人を読んで句会開催するため、諏訪湖を一望できる武居の高台に建てたもの。2020-03-06
499砥川改修前の天井川砥川改修前の天井川砥川改修前の天井川。 「諏訪湖の研究」からの複写と思われる。2020-03-06
489昭和初期の富部昭和初期の富部下諏訪町富が丘の別荘地帯で湖を見渡せる景観のよい温泉地として知られていた。富ケ丘・稲荷平・立体交差点があった(町誌上巻に詳細)2020-03-06
486亀屋より鵞湖を望む亀屋より鵞湖を望む下諏訪金松堂発行の絵葉書、「下諏訪亀屋三階ヨリ鷲湖ヲ望ム」。鷲湖とは諏訪湖の別称で、慈雲寺を開いた一山一寧のふるさとの湖の名にちなんでつけたとされる。手前右に綿の湯付近にあった火の見やぐら、左の端に大木があり専女のけやきのようだ。2020-03-06
485英国大使スケート英国大使スケート絵葉書「(諏訪ノスケート)英国大使スケート」。白い煙をたなびかせて汽車が通り過ぎる。大使夫妻と思われる二人の前でフィギュアスケートに興じる男性、その向うに着物姿の人々がスケートを楽しんでいる。2020-03-06
484富岳を望む富岳を望む絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖より富岳を望む」。上川付近。2020-03-06
483舟遊び舟遊び絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖辺衣ヶ崎にて舟遊び」。石垣や鳥居が見える。2020-03-06
482ボートレースボートレース絵葉書(諏訪名所)諏訪湖上のボートレース。上川付近富士山も見える。2020-03-06
481諏訪湖上のスケート諏訪湖上のスケート絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上のスケート」。フィギュアスケートをしている。2020-03-06
480諏訪湖の夕照諏訪湖の夕照絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖の夕照」。諏訪八景に「高浜夕照」の一節があるが、それを思わせる。2020-03-06
479渡舟場渡舟場絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖渡舟場」2020-03-06
478遊船所遊船所絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖畔鶴遊館前遊船所」。観光用の遊船に混じり漁師の漁船も繋留している。現湖岸通り付近。2020-03-06
477諏訪湖諏訪湖絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖畔鶴遊館前湖上」。現湖岸通り2020-03-06
476漁船漁船絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上衣ヶ崎の漁船」。諏訪八景にある「衣崎帰帆」の風景がしのばれる絵葉書である。2020-03-06
475回遊船回遊船絵葉書「諏訪湖ノ回遊船」2020-03-06
474諏訪湖高浜湾諏訪湖高浜湾絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖高浜湾」。国道と中央東線(汽車が走る)が湖岸近くを走り、湖面との間には畑が一面続き、富士山を遠望する風景。2020-03-06
472諏訪湖付近の富士諏訪湖付近の富士絵葉書「諏訪名勝 諏訪湖付近の富士」2020-03-06
461スケートスケート和装と洋装の男性が革のスケート靴、和装の男性は下駄スケートを履いている。2020-03-06
457スケートスケート諏訪湖でスケートを楽しむ男性。後ろに手持ち帆が見える。2020-03-06
448スケートスケート氷上セーリング(手持ち帆)。皆さん革のスケート靴を履いている。2020-03-06
447スケートスケート諏訪湖でスケートを楽しむ男性・2020-03-06
446スケートスケート氷上セーリング(手持ち帆)。2020-03-06
445スケートスケート氷上セーリング(手持ち帆)。2020-03-06
444スケートスケート革のスケート靴をはいて滑る男性。服装等から№443と同一人物。2020-03-06
426石投げ場石投げ場石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が変化し運動公園ができ湖岸道路もある。№425と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
425石投げ場より石投げ場より石投げ場から諏訪湖を望む。こののち埋め立てが行われ景色は一変する。国道と並行して中央東線を蒸気機関車が走る。№426と比較するとその変化がよくわかる。2020-03-06
420高浜の信号高浜の信号国道20号から湖岸道路へ行く高浜の信号付近。2020-03-06
419西高木より諏訪湖を望む西高木より諏訪湖を望む西高木から望む諏訪湖(現諏訪湖博物館辺り)。後ろにスペアータイヤを積んだボンネットバスが2台見える。2020-03-06
418諏訪湖畔諏訪湖畔現博物館(裏手)を国道側から見たところ。2020-03-06
417諏訪湖畔諏訪湖畔諏訪湖畔。現在の諏訪湖博物館付近の風景。2020-03-06
415高浜高浜高浜。ここに温泉湧出し、旅館街があった。眺望のよさは諏訪湖周辺随一で、附近に舟遊場・釣り堀・温泉プール、水族館等があった。後ろには懐かしいボンネットバスが停まっている。 看板は「高浜釣堀」。2020-03-06
414高浜湾高浜湾高浜湾の風景。湖岸の道路に柳の木が見える。2020-03-06
413高浜高浜今はなつかしい、諏訪湖の遠浅の湖岸。 付近に温泉が湧出し、旅館街があった。また温泉プール・釣り堀・水族館もこの付近にあった。2020-03-06
410石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸の埋立がすすみ湖岸の形が大きく変化した。運動公園ができ湖岸道路もできている。 №409の写真と比較すると変化がよくわかる。2020-03-06
409石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から諏訪湖を望む石投げ場から望む諏訪湖。湖岸が国道付近にある。2020-03-06
392下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。2020-03-06
391下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。写真手前の左側の建物は片倉製糸、右側が入一製糸、左端の樹木は秋宮の森、その隣が現下諏訪中学校。2020-03-06
386旧役場旧役場大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。2020-03-06
385旧役場棟上旧役場棟上明治7(1974)年に下諏訪村成立した。旧本陣、下諏訪学校、来迎寺と仮役場を移転し青塚東方に新役場ができた。さらに大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。博物館の写真では、大正13(1924)年11月25日検査執行となっている。落成は翌大正14(1925)年7月18日である。2020-03-06
377空から見た下諏訪・諏訪湖空から見た下諏訪・諏訪湖航空写真。冬の諏訪盆地。 富士山や八ヶ岳、赤砂先、下諏訪の街並みなどがわかる。2020-03-06
342片倉館片倉館片倉館。大正から昭和初期に製糸業で栄えた片倉財閥が、創業50周年記念に二代目片倉兼太郎により、片倉財閥関係者のみならず地域住民の厚生と社交の場として昭和3(1928)年に建てられた。 会館、浴場、渡廊下の3棟が国指定重要文化財に指定されている。特に千人風呂と呼ばれる大浴場が特徴で、深さ1.1メートルもあり底の玉砂利が足の裏を心地よく刺激する。 同敷地内に諏訪市美術館がある。2020-03-06
341片倉館片倉館片倉館は片倉紡績(株)により御大典奉祝や片倉創立50周年を背景に製糸工場従業員の福祉施設として昭和3(1928)年、建設。総工費80円余り。一度に1000人入れる「千人風呂」があり、休みの日には従業員たちが岡谷から船に乗ってやってきたという。一般の人たちにも解放され建物は国指定重要文化財に指定されている。当時の入浴料は2銭だった。2020-03-06
340風薫る高浜湾風薫る高浜湾写真の説明に、「風薫る高浜湾」の文字がある。昭和6年度町勢覧に同様の写真がある。2020-03-06
329諏訪湖畔諏訪湖畔昭和53(1978)年開催のやまびこ国体の漕艇会場が諏訪湖下諏訪湖畔と決まり、新たに湖浜地区に漕艇場及及び漕艇湖及び艇庫が建設されることになった。下諏訪漕艇場では南風による波浪の影響があった。国体の臨時措置として矢板を水面から70cmほど頭を出し2800枚の鋼矢板を長さ1100mにわたって打ち込み漕艇場を外湖と遮断した。強風にもほとんど影響を受けず競技が行われた。矢板は競技終了後取り外された。2020-03-06
309高浜埋立高浜埋立埋立工事に入る直前の高浜湾の風景。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
308高浜埋立高浜埋立高浜湾遠望。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
307高浜埋立高浜埋立埋め立て中の高浜湾。 諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
306諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
305諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
304諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖のしゅんせつ埋立諏訪湖治水計画により、諏訪湖浄化しゅんせつ事業(第一期)が昭和44(1969)年から始まった。続いて昭和46(1971)年から諏訪湖流域下水道が着工、そして昭和49(1974)年4月には諏訪湖岸の埋め立地に道路(湖岸線)が開通した。2020-03-06
284航空写真  赤砂崎付近航空写真  赤砂崎付近空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。2020-03-06
283航空写真 砥川河口付近 航空写真 砥川河口付近 空から見た諏訪湖。赤砂崎、漕艇場を望む。2020-03-06
282航空写真 漕艇場付近航空写真 漕艇場付近空から見た諏訪湖。漕艇場。2020-03-06
281航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地空から見た下諏訪町と諏訪湖。写真右下に漕艇場が見える。昭和52(1977)年当時は西大路通りがまだできていないのと同様諏訪湖の湖周道路も未完成である。2020-03-06
280航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。2020-03-06
279高浜湾高浜湾諏訪湖で網いけす養鯉業がはじまったのは昭和39(1964)年。その頃の諏訪湖岸(高浜湾)の風情が感じられる写真。2020-03-06
278湖浜地区の区画整理工事中湖浜地区の区画整理工事中7枚の写真の合成。昭和42(1967)年10月湖浜地区の区画整理工事中の様子。区画整理前は一面に水田が広がっていた。2020-03-06
276諏訪湖氾濫諏訪湖氾濫昭和36(1961)年の集中豪雨で氾濫した時の諏訪湖。写真手前の上諏訪側の湖岸はかなり水につかっている。特に諏訪湖の南側は諏訪湖が広がったように見える。また下諏訪高浜や高木と思われるあたりの湖岸も水に浸かっている様子が遠望できる。下諏訪町第三区の年表(近現代)には「6月28日、豪雨で十四瀬川氾濫、西赤砂4戸床上浸水、30余戸床下浸水の被害を受ける」とある。また、諏訪市史には「諏訪市の被害は浸水家屋2,680戸、橋梁流失5、浸水日数8日」と記載されている2020-03-06
215宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区富部山の手から撮影。冬の高浜湾。2020-03-06
214宅地化する前の湖浜地区宅地化する前の湖浜地区上空から見た下諏訪南小学校。旧木造校舎、旧講堂、旧小体育館、50Mプールも見える。校舎から諏訪湖畔までは水田が広がっている。2020-03-06
150学校プール学校プール学校プールが建設され昭和38(1963)年開場となった。小プールの完成は翌年昭和39(1964)年である。南側は諏訪湖まで見渡す限り田んぼであった。2020-03-06
133町民水泳大会町民水泳大会各区対抗で行われた町民水泳大会。プールの背景は、左から、高浜湾(諏訪湖)、高浜温泉旅館、富部新道。国道20号がすぐ横に見えている。2020-03-06
132町民水泳大会町民水泳大会各区対抗で行われた町民水泳大会。プールの背景は、左に高浜湾(諏訪湖)、奥には高浜温泉旅館、プールの奥には石置屋根も懐かしい建物が見える。プールの右には富部新道と国道20号が見える。2020-03-06
126町民水泳大会町民水泳大会各区対抗で行われた町民水泳大会の様子、場所は旧高浜プール(現在の県水産試験場の孵化場付近)で、すぐ後ろには諏訪湖が見える。2020-03-06
125町民水泳大会町民水泳大会各区対抗で行われた町民水泳大会の様子、場所は旧高浜プール(現在の県水産試験場の孵化場付近)で、すぐ後ろには諏訪湖が見える。2020-03-06
81製糸の町岡谷製糸の町岡谷満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。2020-03-06
79製糸の町岡谷製糸の町岡谷天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。2020-03-06
78製糸の町岡谷製糸の町岡谷天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。製糸工業全盛期「岡谷の千本煙突」・「岡谷のスズメは黒い」など言われることもあった。天竜川河岸に水車と思われるものが写っている。2020-03-06
77石投場から望む冬の諏訪湖石投場から望む冬の諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。 高木地区、田中和男氏撮影。2020-03-06
76石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。 高木地区、田中和男氏撮影。2020-03-06
75石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木-上諏訪を望む。 高木 田中和男氏撮影2020-03-06
68諏訪湖一周スケート大会諏訪湖一周スケート大会明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。2020-03-06
67尾掛松尾掛松絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。2020-03-06
39殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査殿村遺跡緊急発掘調査作業の様子。昭和23(1948)年6月、地主の長崎氏が耕作中、地中からほぼ完形の土器がでてきて、今井広亀氏及び下諏訪史談会会員の主唱により発掘調査をした。住居跡の発見の他、石錘(すい)や土錘が出土し諏訪湖で漁業をしていた様子が分かる。その他石鏃(ぞく)、石匙(さじ)、打石斧(せきふ)などの石器や、復元して完全になった壺や顔面把手付の土器も見つかており、縄文中期の貴重な遺跡である。昭和29(1954)年に発見さた第三号竪穴には復元上屋がかけられた。2020-03-06
21片倉組丸六製糸場片倉組丸六製糸場明治42(1909)年片倉組丸六製糸場で下諏訪町における創業10周年記念祝賀会当日に撮影された写真。手前の道は花見新道(御作田社より上にある道)大八車の轍が線路のように残っている。右手前の木は御作田社、左中ほどの町並みは湯田仲町、左遠方の高い建物は中学校の塔、間に見える畑は桑畑で当時は多く見られた。後方にはうっすら白く諏訪湖が広がっている。2020-03-06
15富ヶ丘から望む高浜富ヶ丘から望む高浜富ヶ丘旧道にあった桃畑(新井清水氏所有)から、高浜湾方面を望む。右側に下諏訪小学校や製糸工場、高浜の湖畔には水産試験場、網いけす、大四手網が見える。手前の山の手の畑には桑畑が広がっている。2020-03-06
7石投場から望む諏訪湖石投場から望む諏訪湖石投場から高木・上諏訪方面へ諏訪湖を望む。富部から高木(殿村遺跡)は「うばのふところ」と言われ一日中陽が当たる暖かいところで、桜は石投げ場が1番、慈雲寺が2番に咲くといわれていた。走行するボンネットバスは、丸Sバス。諏訪湖の対岸に遠く片倉館が見える。当時の絵葉書である。2020-03-06
4秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。2020-03-06
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