キーワードで探す

登録リスト(該当:81件)

管理番号写真タイトル説明登録日
1313大門並木大門並木大門並木、下馬橋を望む。人力車を休息している車夫が手間に見える。2020-03-06
1240御柱祭御柱祭御柱祭。山出し、木落し坂から注連掛へ向かい、砥川落合橋付近?2020-03-06
1227岡谷市街地岡谷市街地昔の岡谷 花岡山から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。2020-03-06
1221お舟祭りお舟祭りお舟祭。春宮下馬橋より少し下がったあたりを曳いている。(写真)左上に下馬橋の屋根が見える。曳き綱の先の細い綱が氏子の人々の間から見える。2020-03-06
1201砥川河口の橋砥川河口の橋完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3件あった。2020-03-06
1155屋敷神屋敷神甲州街道中高木村にあった政屋(橋本屋)の屋敷神(高木)。明治18(1885)年上諏訪新道(国道20号)の開通までは料理も出し営業していたが廃業。2020-03-06
1136富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景) (信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。2020-03-06
1124浪人塚の例祭浪人塚の例祭浪人塚の例祭、塚を守っている樋橋部落のご老人たち。毎年この時期には供養祭をしている。明治4(1871)年に諏訪藩が建てた墓碑には6人の名が刻まれている。幕末元治元(1964)年10月20日、京都を目ざす水戸の天狗党約800人の軍勢と和田峠の樋橋で待ち伏せた諏訪・松本藩連合とぶつかった樋橋戦争の水戸側の戦死者11人を葬ってある浪人塚。2020-03-06
1060十四瀬川河口十四瀬川河口十四瀬川の河口。橋の先に見える舟たまりの横には大正11(1922)年6月に平野村(現岡谷)の小学生が諏訪湖で遭難した霊を慰めるために建てられた延命地蔵がある。2020-03-06
1048樋橋延命地蔵樋橋延命地蔵樋橋地区の入口に建つお堂に延命地蔵が祭られている。この地蔵は昔、和田峠を越えてきた一人の六部(ろくぶ:行者僧)が背負ってきたといわれているが六部は脇本陣の大黒屋で急に亡くなってしまった。村人は哀れに思いお堂をつくりお地蔵様をその中にまつりその霊を慰めたといわれている。写真は樋橋延命地蔵の縁日。2020-03-06
1018砥川の風景砥川の風景浮島の川遊びと「カジカ」取りの子どもたち。立春、霧ケ峰から諏訪湖へ流れる砥川で「カジカ」を追う子どもたち、砥川の清流と呼ばれてきたが、近頃はだいぶ汚れてきて、「カジカ」はほとんどとれない。2020-03-06
1004砥川土手砥川土手オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。2020-03-06
997砥川土手砥川土手砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖見向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見える、ここは弥生町にあった旧諏訪女子学園。2020-03-06
993ボート早朝練習ボート早朝練習下諏訪町が昭和53(1978)年国体のボート競技会会場になって依頼ボートが町民の間に普及している。桟橋の手前にシェルファ艇、右側ナックルフォア艇。ボート早朝練習(漕艇場の桟橋)2020-03-06
947出張販売車出張販売車出張販売車で買い物をする山村のお年寄り。和田峠麓の集落。出張販売車は冷凍ケース付き生鮮食品も扱う。隣の諏訪市から週2回やってくる。利用者はやはりお年寄りが多い。2020-03-06
943諏訪湖開き諏訪湖開き諏訪湖開き、下諏訪港桟橋へやってきた「ジェットライナーすわこ」。この高速艇、岡谷-上諏訪間の定期航路に就航いた。2020-03-06
815冬の砥川冬の砥川冬の流れ(砥川)。砥川は全長12.9km町内で一番大きな川である。土砂の流出が多く、写真の医王渡橋付近より下流は度々流路が変わるほどの洪水を起こしてきた。また天井川を形成している。2020-03-06
791赤砂西大路交差点赤砂西大路交差点昭和55(1980)年に開通した西大路通りと昭和49(1974)年に完成した新田中線が交差する。御柱祭りの車の迂回路としての役ばかりだけではなく日常の交通量も大変多くなってきている。冬季降雪時は時折登りきれず難渋する車がある。2020-03-06
723東餅屋東餅屋和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋後には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。2020-03-06
717橋の上橋の上秋宮境内、橋の上。法被の襟に「山七製糸場」の文字が見える。2020-03-06
708赤渋山林道の橋梁施工赤渋山林道の橋梁施工昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内車道3000m巾3.7mである。昭和11(1936)年7月8日赤渋山林道橋梁竣工(砥沢橋は昭和30(1955)年)。2020-03-06
691垂木岩(タルキイワ)垂木岩(タルキイワ)西餅屋立場下手にあった垂木岩。明治10(1877)年和田峠改修の時、垂木岩大岩盤の下手にあった棧橋が間道ができてなくなった。2020-03-06
673土橋実也宅土橋実也宅西赤砂の土橋実也家。2020-03-06
660砥川砥川鷹野橋と湖畔道路の記念碑。2020-03-06
658砥川砥川鷹野橋下から上流を望む。橋の東側たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。砥川が天井川になっている様子がわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。2020-03-06
609芭蕉句碑芭蕉句碑明治27(1894)年4月20日、萩倉観音堂坂登口(落合橋畔) 、芭蕉の句碑が建立。「雪ちるや穂屋のすすきの刈の残し」は芭蕉200年忌に下原の山田正倫(正之丞)ら9名」が発起で建立。2020-03-06
573大門先の石燈籠大門先の石燈籠旧中山道に面した春宮大門先の石燈籠(常夜燈)。文政12(1829)年に作られ台座から6mの高さがある。高遠系の流れをくむ横川村(現岡谷市)の石工山田金右ェ門の子平蔵(和哉)の作といわれる。発起人は上諏訪及び大阪の人でたくさんの寄進の人名のほか、石運びの手伝いとして湯之町・友之町・下ノ原・久保・武居・富部・東山田・萩倉新田・樋橋新田の村々名が刻まれている。石材は高尾山から運び総工費五十両を要したという。          2020-03-06
565明治9年下諏訪集落図絵明治9年下諏訪集落図絵明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。2020-03-06
564忠魂碑忠魂碑明治44(1911)年3月10日八幡社裏手に総司令官大山巌筆の忠魂碑が建立されたが、社務所拡張で八幡社南に移され終戦で一時撤去させ戦後の昭和29(1954)年に再建。40(1965)年宝生橋の左袂に移される。2020-03-06
535福沢川の氾濫福沢川の氾濫昭和10(1935)年6月29日砥川・承知川大出水、殊に福沢川の部落内の被害は甚大で、写真は福沢川の橋より東2・3軒目の裏手から砂瓦礫が浸入した様子。2020-03-06
534砥川の大氾濫砥川の大氾濫明治38(1905)年6月19日の集中豪雨。浮島の右岸が決壊、東山田字若宮地籍へ浸水した。砥川にかかる橋のうち富士見橋をのぞいた全てが流失した惨状を数日後に撮影。この時医王渡橋流失、牛枠・木流し・杭などが見える。右手茅葺屋根は友野家。2020-03-06
522片倉二代銅像片倉二代銅像第2代片倉翁銅像の写真絵葉書。昭和10(1935)年に下諏訪や川岸村などの尽力により建立が決定した。この時は宝生橋も裏参道の堀割に架設されている。しかし、昭和18(1943)年金属回収のため撤去されてしまった。2020-03-06
514春宮から大門通り春宮から大門通り諏訪大社下社春宮、境内付近から下馬橋方面を写したもの。2020-03-06
513春宮鳥居前の並木春宮鳥居前の並木機上から撮影した諏訪大社下社春宮の下馬橋(太鼓橋)奥のさわら並木。写真は諏訪市勝山為如氏撮影。下馬橋奥にさわら並木が見える。昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れた。2020-03-06
510立体交差工事竣工立体交差工事竣工昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。2020-03-06
500宝生橋宝生橋諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。2020-03-06
497宝生橋宝生橋甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。2020-03-06
493土橋實肖像写真土橋實肖像写真土橋實也、初代町長・8代9代村長に選出される。2020-03-06
492土橋家土橋家土橋家、建物の裏からの撮影。2020-03-06
491土橋家土橋家明治22(1889)年5月2日。初代村長に、土橋實也が選出された。 土波止新田(赤砂)からの土橋家を撮影。この旧家も、昭和46(1971)年大改修され貴重な文化財であったが、昔の面影は見られない。写真は表側。2020-03-06
428下馬橋下馬橋下馬橋と春宮。№427の写真を見て景色の変化を比較してほしい。2020-03-06
427下馬橋下馬橋下馬橋と春宮。下馬橋から春宮鳥居までの風景は現在とはあまり変わりはないが道路はまだ舗装されていない。また春宮に向かい下馬橋の右側に御手洗川の分流が水量豊かに流れている。№428の写真と比較して見ると時間の流れがわかる。2020-03-06
408砥川砥川砥川下流から見た医王渡橋付近。2020-03-06
407砥川砥川集中豪雨により砥川の出水、医王渡橋付近。昭和10(1935)年6月29日、砥川・承知川で出水。殊に福沢川の部落内の被害は甚大であった。2020-03-06
406砥川砥川医王渡付近から砥川下流を写したもの。2020-03-06
405医王渡橋より下流を望む医王渡橋より下流を望む昭和9年10月の大豪雨により砥川が出水した。医王渡橋から見た砥川下流の出水の様子。町誌下巻89pには、この時雨量坪3石2斗だったとある。2020-03-06
396大門通り大門通り春宮周辺。正面奥に春宮の森、下馬橋が見える。2020-03-06
392下諏訪遠景下諏訪遠景諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。2020-03-06
381春宮前大門通り大正末期春宮前大門通り大正末期春宮前の大門通り、下馬橋から春宮を望む、河西政常氏撮影。通りの両側にはさわら、杉、松、桜などの大木が並んでいた。明治中期の調査では計41本であったが、昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れその後枯死したりして昭和39(1964)年には全て姿を消してしまった。2020-03-06
374綱打ち綱打ち第1区綱打ち。山車による綱打ち風景。2020-03-06
362綱打ち綱打ち第1区綱打ち.2020-03-06
361綱打ち綱打ち第1区綱打ち。山車による綱打ち風景。2020-03-06
360御柱綱打ち御柱綱打ち第1区綱打ち.2020-03-06
359御柱綱打ち御柱綱打ち第1区綱打ち.2020-03-06
358下の原長持下の原長持御柱祭長持勢揃い。2020-03-06
355里曳き見物客里曳き見物客御柱里曳きで賑わう大門通り。下馬橋から南側を望む。2020-03-06
310医王渡橋医王渡橋大正13(1924)年7月医王渡橋鉄橋工事が行われ、初めて無橋脚の鉄橋ができた。 写真は浮島から医王渡橋を撮ったもの。2020-03-06
286航空写真 大門通上空航空写真 大門通上空上空から見た下諏訪町。大門上空、大門通りの左はじに下馬橋が見える。2020-03-06
285航空写真 町庁舎周辺航空写真 町庁舎周辺上空から見た町庁舎・町営球場。手前の川は砥川。建設途中の下諏訪体育館。旧田中線の道路は清水橋ができておらず砥川で止まっている。2020-03-06
280航空写真 下諏訪町市街地航空写真 下諏訪町市街地写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。2020-03-06
276諏訪湖氾濫諏訪湖氾濫昭和36(1961)年の集中豪雨で氾濫した時の諏訪湖。写真手前の上諏訪側の湖岸はかなり水につかっている。特に諏訪湖の南側は諏訪湖が広がったように見える。また下諏訪高浜や高木と思われるあたりの湖岸も水に浸かっている様子が遠望できる。下諏訪町第三区の年表(近現代)には「6月28日、豪雨で十四瀬川氾濫、西赤砂4戸床上浸水、30余戸床下浸水の被害を受ける」とある。また、諏訪市史には「諏訪市の被害は浸水家屋2,680戸、橋梁流失5、浸水日数8日」と記載されている2020-03-06
247御騎馬奉納御騎馬奉納大正15(1926)年の御柱祭。下馬橋に勢揃いした下の原御騎馬 2020-03-06
240下の原勢揃い下の原勢揃い大正時代、下社春宮下馬橋での撮影。子どもたちも大人と同じ法被姿をしている。大人は鉢巻姿も勇ましく、威勢がよい。御柱祭の写真のようだ。 中央に別の写真の男性が転写されている。2020-03-06
228大詔奉戴日の行進大詔奉戴日の行進昭和17(1942)年大東亜戦争の始まった12月8日を記念して以降毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とし戦意の高揚をはかった。その日の行事として秋宮から春宮まで行進した。写真は女子青年団。2020-03-06
227医王渡橋渡り始め医王渡橋渡り始め橋脚のない鉄橋医王渡橋を施工する。明治38(1905)年流出後架設した橋が老朽化し、大正12(1923)年8月県補助を申請し鉄橋建設、総工費5000円、中谷鉄工所請負で大正13(1924)年7月開通。2020-03-06
226賽の神賽の神賽(さい)の神。道祖神祭の一環として御幣棹(ゴヘイトウ)を建てた。場所は下馬橋前。先端には松を飾り、横木に色々な細工物を飾った。飾りをくじ引きで分けるのが楽しみだった。明治6(1873)年まで行っていたものを昭和6(1931)年に区の有志が復活再現した時の写真。2020-03-06
225米屋の初荷(下馬本屋)米屋の初荷(下馬本屋)下諏訪製糸勃興期の初荷風景。下の原下馬橋(太鼓橋)左袂の下馬本屋精米所から製糸工場に白米の初荷の様子を撮影した写真。運送会社がおかめの飾りを持って来て飾つけ、酒を飲んで初荷を祝った。2020-03-06
222子どもの川遊び子どもの川遊び浮島へ渡る橋は木造だった。背中に小さい子供(弟や妹)を背負い遊びに興じる姿は珍しくなかった。2020-03-06
194梅雨明け集中豪雨梅雨明け集中豪雨砥川出水時の医王渡橋下。2020-03-06
189室戸台風室戸台風「台風の被害」9月21日、室戸台風に襲われ大門通りのさわら並木の大半が倒れた。下馬橋上の様子。2020-03-06
185大門通り下馬橋~春宮大門通り下馬橋~春宮大門通りのさわら並木や下馬橋を参道南側から春宮方向に望む。河西政常氏撮影 。2020-03-06
184吉沢製材所とさわら並木吉沢製材所とさわら並木春宮前のさわら並木を西側から写したもの。春宮下馬橋の西裏手を流れる御手洗川の水力(水車)を動力として利用をした吉澤製材工所。写真の大きな立木は大門通りのさわら並木。現在は駐車場、住宅になっている。河西政常氏撮影。2020-03-06
183下馬橋より下のさわら並木下馬橋より下のさわら並木大門通り。下馬橋から南を望む。2020-03-06
182下馬橋とさわら並木下馬橋とさわら並木官幣大社諏訪神社下社春宮下馬橋。昭和9(1934)年室戸台風の被害前のさわら並木。2020-03-06
181春宮前大門通り大正末期春宮前大門通り大正末期春宮前の大門通り下馬橋から春宮を望む、河西政常氏撮影。通りの両側にはさわら、杉、松、桜などの大木が並んでいた。明治中期の調査では計41本であったが、昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れ、その後枯死し昭和39(1964)年には全て姿を消した。2020-03-06
180大正年間の大門通り大正年間の大門通り大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。2020-03-06
179昭和初期の下の原昭和初期の下の原 機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。奥にさわら並木が見える。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多く見える。2020-03-06
81製糸の町岡谷製糸の町岡谷満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。2020-03-06
23駅前通り舗装工事駅前通り舗装工事舗装工事中の駅前通り。右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。昭和13(1938)年から25(1950)年まであり、その後は観光看板に変わった。作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の駅口に移った。2020-03-06
10御田植祭01御田植祭01諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。2020-03-06
9千尋池千尋池千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。写真は改修工事完成の記念写真で、大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なおちひろ講は青塚の清掃も行っている。2020-03-06
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ