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管理番号写真タイトル説明登録日
1157シクラメン栽培シクラメン栽培元農業高校教師が専門知識を生かして始めたシクラメン栽培。この温室温度調節は全自動で約400万円かけた。出荷鉢は一鉢200~3000円。2020-03-06
976つがるの袋かけつがるの袋かけ夏至、中型店の進出が目立つ20m道路沿いのりんご園で早生種のつがるの袋かけに精を出す主婦。町のりんご栽培面積は昭和38(1963)年の35.4ha(昭和39年の837tが最高)をピークに減少していた。2020-03-06
845りんごの樹の剪定りんごの樹の剪定リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじ)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まる。2020-03-06
750りんごの樹の剪定りんごの樹の剪定リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじ)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まる。2020-03-06
749りんごの樹の剪定りんごの樹の剪定リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじ)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まる。2020-03-06
683萩倉の百合畑萩倉の百合畑萩倉上の百合畑。昭和20(1945)年終戦後「リンドウ」が出荷用花卉として取り上げられてから町内にはキク、カーネーション、ユリ等が導入され、町の出荷農産物として重要な地位を占める時もあった。しかし昭和40年代にはブームが去り一部の堅実な栽培がおこなわれるだけになっていた。写真の記録された昭和42(1967)年の記録を見ると、その中で萩倉東俣のユリは栽培者8名・栽培坪数2440坪で最も盛んであった。2020-03-06
200麻の供出麻の供出昭和18(1943)年戦争末期、衣類不足を補う為軍の命令で町内の草地で麻を栽培。明新館前に大がまをしつらえて剥し繊維を供出。村人が動員されて横吹の畑麻を刈り取ったときの写真。若い人が出征し中高年者が多い。この麻が戦後まで残って麻薬の原料になると、根絶させるのに苦労した。2020-03-06
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