下社神宮寺大坊の石垣

下社神宮寺大坊の石垣

かつて下社秋宮の東側には16200坪とも言われた境内に千手堂や三重塔、仁王門、弥勒堂、方丈が建立され、たくさんの院坊が付属していた。明治維新の時、太政官布告「神仏判然令」により仏教が排撃を受け、仏像の一部は他の寺に逃れたものもあったが、神宮寺は破却されてしまった。写真は下社神宮寺大坊方丈の石垣の跡である。(言成地蔵尊横)

登録日:2020-03-06 投稿者:下諏訪町立図書館
撮影場所久保
撮影年月日昭和54年1月
撮影(西暦)1979年
色調白黒
大きさ8.8*12.9
所蔵者諏訪湖博物館・赤彦記念館
参考文献写真が語る下諏訪の百年 14p
地区コード上久保
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投稿者下諏訪町立図書館
管理番号569
カテゴリ名神社・仏閣・史跡
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