下社神宮寺大坊の石垣
かつて下社秋宮の東側には16200坪とも言われた境内に千手堂や三重塔、仁王門、弥勒堂、方丈が建立され、たくさんの院坊が付属していた。明治維新の時、太政官布告「神仏判然令」により仏教が排撃を受け、仏像の一部は他の寺に逃れたものもあったが、神宮寺は破却されてしまった。写真は下社神宮寺大坊方丈の石垣の跡である。(言成地蔵尊横)
撮影場所 | 久保 |
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撮影年月日 | 昭和54年1月 |
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撮影(西暦) | 1979年 |
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色調 | 白黒 |
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大きさ | 8.8*12.9 |
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所蔵者 | 諏訪湖博物館・赤彦記念館 |
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参考文献 | 写真が語る下諏訪の百年 14p |
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地区コード | 上久保 |
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