キーワードで探す
並び替え:

登録リスト(該当:14件)

写真タイトル説明登録日
1御田町駐車場を望む御田町駐車場を望む御田町と立町の先付近の小路。 御田町駐車場が見える。2023-07-20
2小路小路衣文坂から御田町駐車場に続く川沿いの小路、橋の上には温泉の出る蛇口がある。2023-10-08
3御田町御田町御田町の小路、すてっぷカサイ、とんかつの丸一、MIYASAKAなど店が並んでいる。2023-07-05
4舟道舟道山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へと下りる舟道(小路)に沿って半農半漁の村が形成された富部地区(第10区)。現在は旧国道(県道)と鉄道(JR)、国道20号線、により舟道は分断はされているがその面影は現在も残っている。2023-07-09
5永田小路永田小路現在の永田小路の様子。 国道と平行に阿部奈良屋と土田薬局の間を大社通りから、裏参道へ抜けている小路は今でも通ることができます。2023-02-23
6鎌倉街道鎌倉街道小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。2020-03-06
7大社通り大社通り大社通り「有賀商店」。手前の小路は「稲荷小路」。道向かいは諏訪湖オルゴール博物館奏鳴館(旧下諏訪町役場の地旧公民館、現在はオルゴール博物館すわのね)2020-03-06
8小路小路秋宮前大社通りから宿場町立町通りの間の路地。江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。 平成7(1995)年に路地の散策を続けてきた人たちで「下諏訪の路地を歩く会」が作られ、平成13(2001)年には日本記念日協会から、6月2日は「路地の日」の普及に貢献したとして記念日文化功労賞が送られている。 宿場町として栄えた歴史や閑静な風情、行き交う人情に触れることができる場所となっている。この周辺には岡本太郎や小沢昭一、永六輔らの直筆を刻んだ石碑や句碑を巡ることもできる。2020-03-06
9郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
10東山田の辻東山田の辻「蚕神」碑「道祖神」、「庚申碑」が並ぶ村の辻。養蚕が盛んだったj頃は、蚕は暮らしを支えるものとして「お蚕さま」と呼ばれていた。東山田地区は旧長地村。諏訪大社春宮とのつながりが深く、下社五官がこの里に住んだ時代もあった。古くは、正面に登る道は「人棺小路」と呼んでいたらしい。(葬列が通った道のこと)2020-03-06
11小路の風景小路の風景路地にひっそり、旧下諏訪遊郭の建物。遊郭時代「新塚田」と呼ばれる妓楼だったという。昭和になりアパートに移築された。2020-03-06
12小路の風景小路の風景路地裏にひっそりとたたずむ旧下諏訪遊郭の建物。 遊郭時代「新塚田」とよばれる妓楼だったという。昭和になりアパートに移築された。  2020-03-06
13宝生橋宝生橋諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。2020-03-06
14宝生橋宝生橋甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。2020-03-06
地図で見る


ログイン トップページへ