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登録リスト(該当:23件)

写真タイトル説明登録日
1お祭りと子どもお祭りと子ども祭りの記念写真、大人は着物姿の正装、 子どもたちは祭り支度で長持ちの杖を持っている。 御田町劇場前での撮影。2022-06-12
2街かど博物館街かど博物館街かど博物館1号館の館内の展示。2020-03-06
3下駄スケートをする少女たち下駄スケートをする少女たち向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)。  2021-05-11
4真綿とり真綿とり真綿は主に製糸に向かない屑繭(くずまゆ)を使って作られた。屑繭を煮沸し、開き、引き伸ばし、乾燥させたあと、布団や綿入れの着物に利用された。また真綿を太糸のように伸ばして織り、チョッキのように防寒用に用いられた。真綿とりの様子。2020-03-06
5御柱祭御柱祭御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字の法被姿の男性が見える。子どもたちは絣の着物姿。2020-03-06
6御柱祭御柱祭御柱祭里曳き・建御柱、和装(着物姿)髪の毛を結った女性たち、祭り支度の男性の姿も。2020-03-06
7女工さん女工さん製糸工場の女工さんたち。若い女性に混じって後方に年配の女性も見える。きものの柄に年齢差が見える。 下の写真は帯を締め羽織も着ていることから工場の休みの日の撮影か(後ろに見えるのは揚げ返し場)。2021-04-21
8お舟祭りお舟祭り大正から昭和初期のお舟祭の柴舟と胴棒が見える。 大人も子どもも着物を着て祭りに来ている。 右手の建物は青雲館。2020-03-06
9水月園の花見水月園の花見お花見、女性や子どもたちの服装が当時をしのばせる。中には三味線をもった男性も見える。ごちそうは重箱に詰められている。昭和5(1930)年撮影。2020-03-06
10水月園の花見風景水月園の花見風景昭和4(1929)年撮影の水月園の観音堂の平での花見風景。当時の服装がよくわかる。特に着物や髷姿の婦人が目立つ。2020-03-06
11英国大使スケート英国大使スケート絵葉書「(諏訪ノスケート)英国大使スケート」。白い煙をたなびかせて汽車が通り過ぎる。大使夫妻と思われる二人の前でフィギュアスケートに興じる男性、その向うに着物姿の人々がスケートを楽しんでいる。2020-03-06
12渡舟場渡舟場絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖渡舟場」2021-04-06
13スケートスケート和装と洋装の男性が革のスケート靴、和装の男性は下駄スケートを履いている。2020-03-06
14スケートスケート着物姿でスケートを滑る男性、革のスケート靴を履いている。2020-03-06
15スケートスケート革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
16スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?2020-03-06
17スケートスケート下駄スケート・着物姿の人見える。下駄スケートは明治39年(1906)年頃初めて考案された。2020-03-06
18御柱山出し御柱山出し御柱祭山出しでの第一区関係者。2021-04-01
19水月園お花見水月園お花見観月堂前。三味線を弾く芸者さんを大勢の人が取り囲んでいる。お花見の人出は相当だったと思われる。2020-03-06
20水月園お花見水月園お花見水月園は「水月会」により開発され、明治35(1902)年に命名。明治40(1907)年旧月見堂が落成。その後昭和28(1953)年に町に移管され、昭和56(1981)年現在の観月堂が作られる(月見堂は写真の左になる)2020-03-06
21水月園お花見水月園お花見河西政常氏撮影 昭和初期のお花見の雑踏。後ろに観月堂が見える。2020-03-06
22子どもの通学風景子どもの通学風景朝の小学生の登校風景。この頃は着物姿も普通だった。2020-03-06
23お花見風景お花見風景御田町商店主の皆さんのお花見。当時(昭和15年頃)は芸達も多く、仮装(御田町の店主)してお花見を楽しんだ。のんきな父さんの姿も見られる。左側に見えるのは、山車である。慈雲寺下の花見新道で撮影。子どもの多くは着物姿である。2020-03-06
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