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登録リスト(該当:4件)

写真タイトル説明登録日
1下諏訪総合文化センター下諏訪総合文化センター県文化公園整備事業を原村と二分し平成元年に建設。この中に教育委員会事務局・文化センター・公民館・勤労青少年ホームの諸施設を置いている。町独自の文化活動のほか多くの人々の文化事業にも活用され、生涯学習センター的な役割も持っている。2021-08-03
2下諏訪図書館下諏訪図書館現在の下諏訪図書館。手前の公演はあすなろ公園。 図書館のはじめは、昭和13(1938)年ユニークな青年会図書館として創立し、旧役場あとの公民館に移管し、その後昭和54(1979)年現在地に下諏訪町立図書館として建設された。蔵書数は令和3年で本以外も含め約13万余となっている。利用率も高い図書館で、生涯学習の拠点となている。2021-08-03
3殿村遺跡殿村遺跡殿村という名から高木氏の居城跡ではないかと言われていたが、昭和23(1948)年に地元の長崎賢吾氏が注目し発掘に及んだ。その後、数度の発掘で、縄文時代中期の住居址、弥生時代の住居址、奈良・平安時代の住居址、中世の住居址などが検出され、それに伴う遺物が多量出土している。発掘結果からすると、遺跡の領域は東照寺地籍まで延び 、広い範囲に及んでいる。(生涯学習ガイドブック1より) なお発掘の様子や住居址復元の様子の写真があるので参考にしてほしい。2021-06-03
4竜の口竜の口慈雲寺山門下にあるの龍の口。銘に「西山田邑山田清左エ門・金右衛門・近辺連中」とあり、手洗鉢には「願主西山田村山田平蔵和哉」とある。これら山田氏は横川村に住む石工であった。 「生涯学習ガイドブック1歴史編」には、慈雲寺入口の石段の右脇にあり、中山道を通る旅人の喉をうるおした。作者は現岡谷横川の山田清左エ門・金石衛門。文政8(1825)年作で、高遠石工の流れをくむものであると紹介されている。 「写真で見る下の原」には、慶応元(1865)年竣工、石工は現岡谷横川の石工山田平蔵和哉である、と紹介されている。 水石榴の側面に「花・清・水」と彫ってあるというが、現在は風化が進み読みにくくなってしまっている。 今でも清水講の皆さんが水石榴や周辺の清掃を続けているという。2020-03-06
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