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登録リスト(該当:12件)

写真タイトル説明登録日
1蒸気機関車 C1266蒸気機関車 C1266現在真岡(モオカ)鉄道にいる「カマ(機関車)」の30年前の姿。 当時上諏訪機関区には3両のC12がいた。C1267は茅野市に保存展示されている。 C1266は木曽福島から会津若松、そして旧川俣線が廃止される前日の営業最終列車の後、自力で川俣駅へ回送されたと聞いている。 ここで保存された後真岡鉄道で復活、NHK4の朝ドラにも出演、地味な現役時代とはまたひと味違った姿になっている。 復活後はまだ見ていないがそのうち会いに行こうと思う。 【百瀬氏文】 C12形式SL 文化財として27両が全国的に保存されている。C1266とC12777号が動態保存に復元されて、それぞれ真岡(モオカ)鉄道と大井川鉄道で運転されている。2024-01-24
2萩倉水車小屋萩倉水車小屋萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。2022-03-24
3伏見屋邸伏見屋邸明治初期に建てられた中村家がいを営んだ家で、屋号を「伏見屋」という。部屋数も多く柱も太く造作も豪華である。この頃当主は下ノ原で最初に器械製糸を操業している。平成22年度に復元修理工事をし当時の面影を取り戻した。現在は旧中山道を歩く人の休憩所や、伏見屋邸サポート倶楽部など地域の活動の拠点として利用されている。2022-03-19
4殿村遺跡殿村遺跡殿村という名から高木氏の居城跡ではないかと言われていたが、昭和23(1948)年に地元の長崎賢吾氏が注目し発掘に及んだ。その後、数度の発掘で、縄文時代中期の住居址、弥生時代の住居址、奈良・平安時代の住居址、中世の住居址などが検出され、それに伴う遺物が多量出土している。発掘結果からすると、遺跡の領域は東照寺地籍まで延び 、広い範囲に及んでいる。(生涯学習ガイドブック1より) なお発掘の様子や住居址復元の様子の写真があるので参考にしてほしい。2021-06-03
5宮坂喜十先生胸像宮坂喜十先生胸像昭和4(1929)年11月18日、宮坂喜十先生謝恩会で胸像を下諏訪小学校南校の校庭入口に建立。昭和18(1943)年3月10日、大東亜戦争で供出したが、昭和26(1951)年10月7日ブロンズに復元する。製作者武井直也。宮坂喜十先生が教職についたのは明治18(1885)年以来44年間ひとすじに教育に尽くしてきた。下諏訪の初等教育の原点を担ったお一人である。「下諏訪の史話」「諏訪大神の信仰」などの郷土史の著者でもある。2020-03-06
6秋宮神楽殿秋宮神楽殿「諏訪大社神楽殿及日本一駒犬」と写真下に書かれている。昭和6(1931)年9月18日には満州事変戦勝祈願も行われている。狛犬(駒犬)は昭和5(1930)年11月吉日に竣工。神楽殿をかこむようにしめ縄飾られている。現在の神楽殿正面の大しめ縄は戦後からのものである。 この狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。現在の狛犬の説明には「青銅製の狛犬としては日本一」と紹介されている。2020-03-06
7大社の朝大社の朝昭和5年(1930)献上された狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。(撮影者大槻十三春)狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。青銅製の狛犬としては日本一と紹介されている。 ※昭和四十(1965)年度 特選 大社の朝(大槻十三春)2020-03-06
8殿村遺跡の碑殿村遺跡の碑殿村遺跡 昭和29(1954)年3月高木小字殿村の竪穴住居跡に作られた復元家屋。2020-03-06
9殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査調査後に建てられた復元家屋の柱組。2021-04-07
10殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査復元住居の完成記念写真。 町理事者、町議、調査関係者。 「殿村原住民族住居跡」の看板。2020-03-06
11殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査団に参加した高木史話会員。 復元住居の骨組み前等での撮影。2020-03-06
12殿村遺跡発掘調査殿村遺跡発掘調査殿村遺跡緊急発掘調査作業の様子。昭和23(1948)年6月、地主の長崎氏が耕作中、地中からほぼ完形の土器がでてきて、今井広亀氏及び下諏訪史談会会員の主唱により発掘調査をした。住居跡の発見の他、石錘(すい)や土錘が出土し諏訪湖で漁業をしていた様子が分かる。その他石鏃(ぞく)、石匙(さじ)、打石斧(せきふ)などの石器や、復元して完全になった壺や顔面把手付の土器も見つかており、縄文中期の貴重な遺跡である。昭和29(1954)年に発見さた第三号竪穴には復元上屋がかけられた。2020-03-06
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