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写真タイトル説明登録日
1キバナバラモンジン解体図キバナバラモンジン解体図キバナバラモンジン(バラモンギク)キク科 黄花婆羅門参 ・一昨年今頃、下諏訪富士見橋近くの砥川べりにて初  見。その後確認してきたが、再見できず、和名は分か  らず、幻の花だった。 ・今回南箕輪村上伊那農業高校中の原農場入り口脇の水  路フェンス側に見つけた。手持ち図鑑では該当がな  く、果実の様子からキク科をHPで調べ、ようやくキ  バナバラモンジン(バラモンギク){バラモンジン  属}と判明。  果実はタンポポの果実を巨大化したようで、すでに風  散布で散ったものがある。草丈は大きいものは50c  mほど、道端の痩せ地では15cmほどで、いつか砥  川べりでみたものとほぼ同じ大きさであった。欧州・  西アジア原産。1877年頃食用or鑑賞用に渡来。1  911年までに逸出し、帰化2021-10-29
2諏訪女子学園諏訪女子学園入り口に「諏訪女子学園」の看板がある。 諏訪女子学園は、昭和42(1967)年度に西弥生町(富士見橋下)旧自動車練習場跡1.000坪を買収して新築工事に着手、体育館竣工と同時に入校し、続いて昭和43(1968)年3月に本館が落成した。 高等部(高等学校)、専門部(短大)がおかれた。学校組織は学園長阿木翁助(写真手前左端;日本放送作家協会理事長)、校長浜倫久以下職員17名、生徒は5学級234名であった。2021-12-26
3富士遠望(夕景)富士遠望(夕景)東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。2020-03-06
4砥川土手砥川土手オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。2020-03-06
5砥川土手砥川土手砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖に向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見えるが、ここには弥生町にあった旧諏訪女子学園があった。2020-03-06
6明治9年下諏訪集落図絵明治9年下諏訪集落図絵明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。2020-03-06
7砥川の大氾濫砥川の大氾濫明治38(1905)年6月19日の集中豪雨。浮島の右岸が決壊、東山田字若宮地籍へ浸水した。砥川にかかる橋のうち富士見橋をのぞいた全てが流失した惨状を数日後に撮影。この時医王渡橋流失、牛枠・木流し・杭などが見える。右手茅葺屋根は友野家。2020-03-06
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