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登録リスト(該当:23件)

写真タイトル説明登録日
1旅客列車旅客列車D51旅客列車 手前の電柱は国鉄の通信線の「はえたたき」 *「はえたたき」日本国有鉄道収容感染の線路沿いに立ち並んだ電柱(鉄道電信柱)の通称名。2024-02-12
2183系特急電車183系特急電車183系特急電車 181系の次に配置された特急電車で国鉄色最後の特急だった。 その後クリームと赤い線の入ったグレードアップ車、長野色などに変化したが2005(平成17)年の今年も千葉の車両が時々乗り入れてくる。2024-02-15
3砥川鉄橋砥川鉄橋下諏訪砥川鉄橋を走るEF13(国鉄EF13型電気機関車)2024-02-15
4電気機関車電気機関車国鉄EF64形電気機関車では通常は貨物列車牽引の機関車。 20系客車 20系寝台車がブルトレ運用(ブルートレイン)から離脱後中央線にもその姿を見せるようになり修学旅行・スキー団体臨時列車などで運用されていた。 列車は一世を風靡したブルートレイン。2024-02-08
5普通列車普通列車国鉄211系電車 飯田線の普通列車 1985(昭和60)年に登場した直流近郊型電車である。 当時は日本国有鉄道(国鉄)が国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)により設計・製造された。中央本線を走行する211系はJR東海の運用。2024-02-07
6「あさま」色の車両「あさま」色の車両1997(平成9)~1998(平成10)年 信越線から来た189系「あさま」色の車両が「あずさ」に使用された。 写真上 2005(平成17)年11月撮影 183系特急電車  181系の次に中央線に配置された特急車で国鉄色最後の特急だった。その後クリームと赤い線の入ったグレードアップ車、長野色に変化したが2005年現在も千葉の車両が時々乗り入れている。             写真下 2012(平成24)年 5月3日撮影 何かの臨時列車 エンブレムなし。 2024-02-06
7あずさ2号あずさ2号中央東線史m諏訪西大路ガード付近、松本運転所M8編成。 2月2日の「あずさ2号」の運転用として新宿へ回送されたときの写真。 2002(平成14)年2月2日午前8時2分新宿発松本行き「あずさ2号」はJR東日本が新型車両の運行記念として国鉄時代と同じクリーム色の車体に赤いライン、当時と同じプレートを付けた。「183系」のイベント列車が20年振りに走った。 これは日付に「あずさ2号」という曲のタイトルである「2」が並んだこと、長年同列車に使用されてきた183・189系の「あずさ」での営業運転終了が迫ったことを記念した特別列車であった。2024-01-28
8国鉄シキ800形国鉄シキ800形国鉄シキ800形貨車が変圧器を輸送してきた国内最大の貨車。機関車は「ブルーサンダー」。シキ800形は発電所や変電所に設置される特大の変圧器を輸送するための貨車である。2024-01-25
9クモヤ145形クモヤ145形「クモヤ145形」は旧型車の改造により使用されていた牽引車・救援車の置き換えを目的として、国鉄時代の1980(昭和55)年代に101系電車を改造して誕生した直流区間用の牽引車です。民営化後はJR東日本・JR東海・JR東日本に継承された。2024-01-25
10パノラマエクスプレスアルプスパノラマエクスプレスアルプス165系「パノラマアルプス」国鉄最後の年に改造された、 「団臨車(団体専用臨時列車)」用の列車で、展望車のあるジョイフルトレイン。 何回か乗ったがとても良い列車であった。(百瀬氏)2024-01-25
11貨車貨車国鉄シキ800形貨車は1973(昭和48)年から1996(平成8)年にかけて計3両が製造された日本国有鉄道の大物車である。2024-01-25
12蒸気機関車C56蒸気機関車C56下諏訪駅での533列車。 上諏訪機関区 入換専用機C56 102 C56は「国鉄C56形蒸気機関車」国鉄の前身鉄道省が製造した小型軽量テンダー式。 愛称は「シゴロク」「シーコロ」2024-01-18
13テレホンカードテレホンカード国鉄(日本国有鉄道)最後の記念のテレホンカード。 このカードは昭和62年4月に国鉄分割民営化されたときに作られた。2023-12-28
14あすなろ公園のSLあすなろ公園のSL下諏訪町のあすなろ公園に展示保存されているCC12171。 このSLは国鉄OBにより大切に管理されいます。2023-11-22
15石投げ場を行くC12石投げ場を行くC12雪の日の朝、諏訪湖畔(石投げ場)を行く533回送列車。上諏訪機関区最後のSL仕業、また石投げ場は明治38(1970)年に山崩れががあった。 ※「C12型式SL」(国鉄蒸気機関車C12)は簡易線用として1932年にC10・C11型が進出できない簡易線区で使用することを目的とした小型近代タンク式、線区の建設や完成後の使用を目的とした軽量小型の機関車。 画期的な製造技術を採用し、軸重軽減・製造コスト削減、メンテナンスコスト等も低減した強力な機関車で戦後までの16年間に293両が生産された。2023-11-26
16華道教室華道教室勤め帰りに華道教室のお稽古。お師匠さんは国鉄職員の奥さんで、自宅に作業所を造り、マイクロモーターなどの線材の圧着の仕事をしていた。すわ湖工業地帯らしい風景。2020-03-06
17萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2022-06-12
18旧国鉄官舎旧国鉄官舎木造平屋の旧国鉄官舎。現在はJR東日本官舎が町営球場の道向かいにある。2020-03-06
19下諏訪駅下諏訪駅この電車は国鉄が設計・製造した近郊形直流電車115系、色は湘南色(オレンジとグリーン)。席は青いボックス席。電車に乗り込む乗客2020-03-06
20省営バスによる薪炭の搬出省営バスによる薪炭の搬出省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。2020-03-06
21萩倉のカネキ製糸場萩倉のカネキ製糸場山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。2021-04-21
22下諏訪町遠望下諏訪町遠望富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。2020-03-06
23国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。2020-03-06
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